「波郷とあき子」の結婚 ― 2008/09/24 07:28
4月からBS2の「週刊ブックレビュー」が、日曜から土曜の放送に移ったの で、日曜8時からの「NHK俳句」を録画して見るようになった。 選者は長 谷川櫂、安原葉、正木ゆう子、宮坂静生の四氏、それぞれにいいのだが、今日 はその話ではない。 5週ある月は、最後の週に「俳句特集」というのをやる らしい。 8月31日放送の「波郷とあき子 十七文字のラブレター」を見て、 感ずるところがあった。 石田波郷が当時は死病といわれた結核にずっと苦し められたことは、同じ療養所にいた結城昌治さんの『俳句つれづれ草―昭和私 史ノート』(朝日新聞社)や『俳句は下手でかまわない』(朝日文芸文庫)で知 ってはいた。 しかし、奥さんのあき子さんのこと、その夫婦愛の物語は、ほ とんど知らなかったのである。
吉田あき子は、大正4(1915)年生れ、深川で繁昌していた建材屋の娘、大 妻高女卒、しっかりもので、当時としては珍しい職業婦人、看護婦をしていて 自立心の旺盛な人だった。 波郷は、大正2(1913)年生れ、松山から単身上 京して、「馬酔木」の水原秋桜子に見出され、24歳で「鶴」の主宰となった新 進気鋭の俳人だった。 26歳のあき子と、29歳の波郷は、昭和17(1942)年 の初夏、葛西で見合いをし、九段会館で結婚式を挙げる。 伊香保に新婚旅行 に行った波郷の鞄の中には、白い手拭と高村光太郎の詩集『道程』が入ってい るだけだった。 波郷は、あき子に、詩集の中の「婚姻の栄誦」を読んで聞か せて、言った「一枚の筵旗(むしろばた)を地球の一郭に二人で掲げたのだ。 二人で力を合わせれば何とかなる。どんな雨風にも降ろすことのないよう」と。
新娶(にいめとり)まさをき梅雨の旅路かな 波郷
昭和18(1943)年5月、長男修大(しゅうだい)が生れる。
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