「諭吉に心酔した福井直吉の土着精神」 ― 2010/10/16 05:12
『志木歩こう会』「港区東部の史跡巡り」の話はこれ位にして、9月25日の 福澤諭吉協会の土曜セミナーについて書く。 金原(キンパラが正しい発音だ そうだ)左門さん(中央大学名誉教授)の「諭吉に心酔した福井直吉の土着精 神」という講演だったのだが、実はまったく歯が立たなかった。 話の内容を まとまった形で、理解することが出来ない。 箇条書きの「話のプロット」も 付いた詳細な関連資料を頂いたのだが、基本的な背景の認識がないため、細部 に及んだ説明に全くついて行けなかった。 資料を読んで、復習を試みること にする。 なお金原さんは5月『相模の美酒と福澤諭吉―「近代化」のビジョ ンを求めて』(日本経済評論社)を刊行されている。
福井直吉(弘化5(1848)年~大正6(1917)年)は、相模国大住郡小峰村 (現、平塚市)出身の豪農。 村の総代を務めたのち、湘南社の結成に参加し、 自由党―立憲政友会に所属する。 明治13年、福沢諭吉が筆を執った相州の 「国会開設建言書」の総代の一人に名を連ね、自由民権運動に肩入れしていく。 金原さんは長い間、福井直吉が「国会開設建言書」の時に初めて福沢と出会 い、その思想と人間にぞっこん惚れ込んだと見てきたそうだ。 だが、福井が それ以前に福沢の文章や西欧の翻訳書を読み、自前の考え方を持つようになっ ていたのではないかと、考えるようになったという。 その「自前の考え方」 の中味を吟味するのが、この報告の第一の目的だとする。
福井直吉は31歳の時、第1回の県会議員となり、議長も6年余り務めた。 明治25年、衆議院議員となり、森林保護と治水論で注目された。 その後、 実業人として地元の地域開発を目指し鉄道敷設、水力発電、保険、銀行等の事 業に関わった。 その両方で、福沢の精神を体現しているかのように、ずばり 「公利公益の開発」を目指している。 これを金原さんは「諭吉に心酔した福 井直吉の土着精神」とみるわけだ。 福沢は新しい社会の中心に、実業、経済、 教育、議会の主体としての「ミッヅルカラッス(ミドルクラス)」を創出し、そ れを地方から中央へ及ぼすことを構想していた。 福井はこの間、明治20年2 月には長男準造を慶應義塾に入学させてもいる。
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