喬太郎の「小政の生い立ち」後半 ― 2012/03/01 04:11
次郎長は、政吉に言う。 渡世人になるんじゃない、俺も元は米屋の堅気だ。 様子や形でなりたいんじゃない、お袋が安心すると思う、親父はとんでもねえ ならず者だったが、おいらが生れるとすぐ死んだ。 お袋はもう何年も寝たき りで、おいらが働いているから、お上から青緡(ざし)五貫文のご褒美が出た。 お袋は、政吉がどう暮していくか、どんな男になるか、半分は親父の血だから 世間に迷惑をかけるかもしれない、きちんとした所に世話になってもらいたい、 と心配している。 訳はよくわかった、万万が一、お袋が目ぇつぶったら、清 水へ来い、堅気の旦那衆とも付き合いがあるから。 これで、おっ母さんにい い薬と旨いものでも買ってやれ、時節柄マスクもな。 お気持だから、頂きま す。 (石松)俺もやる、セエフごと持ってけ。 こっちのおじさんは、いい、 気の毒だよ。 いくら入っているんだ。 八文。 小遣いにはなるだろう。 パ ッパと使うな。 おっ母さんを大事にな。
母親は話を聞き、にっこり笑って、三日で目を閉じた。 政吉は、弔いと四 十九日をちゃんと済まして、母子の面倒をみてくれていた駿河屋に来る。 両 親の位牌を預かってもらいたい、じきに子分が取りに来るから…、それから餞 別帳を書いてもらいたい。 よせよせ、そんなことをすると将来、身を立てて も、何を言われるかわからないから。 言われようと思っている、借金をこさ えとくと、倍にして返そう、倍に、倍にと、修業の糧(かて)になる。 「餞別 帳 後見 駿河屋次郎兵衛」と書いて下さい、おじさんの名前がないと信用し てもらえない、男の中の男だもの。 その上に、「金一両」としてもらいたい。 一両か。 おじさんは、それだけの男だもの。 お前、十四だよな、俺は六十 四、俺の五十年は何だったのか…、お前の子分になる。 お前、何をするんだ、 金と一の間に、もう一本引くんじゃない。 駿河屋の次郎兵衛さんが二両なら、 あとの人は、半分でも一両、四半分でも二分になるでしょう。
すぐに清水には行かず、浜松で山田一刀斎の剣術道場に入門、免許皆伝とな ってから、清水へ。 次郎長が堅気になれというのを、どうしても一家に、子 分にしてくれと頼んで、一家に加わる。 清水次郎長外伝、小政、生い立ちの 一席でございます。
喜多八の「鼠穴」 ― 2012/03/02 05:00
「待ってました」と、声がかかった。 だが、トリの喜多八、いつものやる 気のないような出は変わらない。 権威のある会のお仕舞いに、しまらない陰 気な噺だけれど、根暗な方だから、地でやればいい、という。 「鼠穴」のあらすじは、2006年11月30日、第461回のこの会で入船亭扇 遊が、やはりトリで演じたのを12月6日の日記に書いている。 そして「圧 倒的に重苦しい噺だから、聴いた後に爽快な感じがしない。噺のつくりに原因 があるのであって、扇遊の力量によるものではないのだろう」と。 喜多八の 「鼠穴」は不思議なことに、そんなに重苦しいという感じがしなかった。
扇遊のあらすじでは書かなかった、竹次郎家のたどる悲惨な運命を、喜多八 で加えておく。 深川蛤町が火事になり、目塗りをした番頭が鼠穴だけは忘れ て、三つの蔵も丸焼けになった。 商いもばったり、奉公人も一人二人とみん な辞め、裏店に引っ込んだら、かみさんが床につき、枕が上がらない。 春も 近いから仕込みをしようと、兄貴の所へ行く。 娘のヨシが一緒に行きたいと いうので連れて行く。 表から入りづらく、兄貴の家の裏に回る。 このたび はとんだことで、少々お待ちを、と番頭。 竹の野郎が来たか、通ーせ、やぁ 竹、われの所、焼けたってなあ。 身体が無事だっただけでも、めっけもんだ。 ヨシ、八つか、利発そうな子やな。 おら、出かけなきゃあならねえ、急ぐ話 か。 春も近いから、商いの仕込みをしなきゃあならない、元を拝借したい。 いくらだ、三文も持ってくか。 百両といいたいが、五十両。 気は確かか、 返すあてもなかんべえ、帰れ。 (なお、言い募るのを、打つ。) 父っつぁま にも、手を上げられたことはねえ、ヨシ、見ておけ、これはお前のたった一人 のおじさんだ。
帰り道で、ヨシが、お父っつあん、いくらあったら商売が出来るの、と。 二 十両かたはないと、どうにもならない。 あたいをお女郎に売って、お金をこ しらえて。 大きくならない内に、迎えに来てくれれば、本当のお女郎になら なくてすむから。
辛抱しておくれよ。 二十両の金を懐に、見返り柳から、ヨシのいる廓を振 り返る。 ドーーン、気をつけろ。 痛い、と、ぶつけられた胸のあたりをさ ぐると、盗られた、ハハハハハヘヘヘ。 帯をほどいて、適当な松の枝にかけ ると、首を吊る。 ウーーーン。
五月蠅いな、寝られないよ、こうだな、うなされる奴もいねえな。 竹、起 きろよ。 ここは、いってえ、どこだ。 昨夜、おらんとこへ泊まって…。 火 事は? そんなことはねえ、夢でも見たんだろう。 ありがてえ、夢だ、おら、 あんまり鼠穴を気にしたで。 ははは、夢は五臓(土蔵)の疲れというからな。
自ら根暗な方という喜多八、「鼠穴」をやりきれない噺ではなく演じたのは、 もう一つのキャラクターである「おとぼけ」が緩和したのかもしれない。
暗い夜道を照らす月のような映画 ― 2012/03/03 03:21
目から自然に、温かいものがこぼれる。 映画『しあわせのパン』(三島有紀 子監督・脚本)を観た。 北海道は洞爺湖のほとり月浦の丘の上で、水縞尚・り え夫妻(大泉洋・原田知世)が営むオーベルジュ式のパンカフェ「マーニ」、一年 の物語である。 オーベルジュというのは、料理を楽しむことを主体にした、 宿泊施設のある郊外レストラン。 月のきれいな月浦の、雄大な自然、夏から 秋、厳冬、そして春、それは花鳥諷詠と四季、俳句の世界であった。 2月19 日の『夏潮』新年会で、本井英主宰が、昨年の大震災を経験したわれわれが、 もっとこの日本の山河を愛すること、季題の宿るこの山河を大事にすることを 説かれたことを思い出す。
水縞くんが焼くおいしいパン、りえさんが淹れる挽き立てのコーヒーと季節 の野菜の料理。 「マーニ」には、いろんな人が来る。 地獄耳の消息通だが、 ひょいと新作を置いていってくれる硝子作家のヨーコさん(余貴美子)、中身が 謎の皮の大きなトランクを提げた阿部さん(あがた森魚)、りえさんはきれいで すねと繰り返す郵便屋さん(本多力)、採れたての野菜を供給してくれる子沢山 の広川夫妻(中村靖日・池谷のぶえ)。
そして季節ごとに、心に問題を抱える人たちがやって来る。 その人々に温 かいものを与える、幸せそうな水縞夫妻も、実は影を抱えていた。 東京の生 活に疲れて心を閉ざしたりえさんを、札幌出身の水縞くんは月浦で暮そうと誘 ったのだった。 「りえさん、ここで無理して笑うことないよ」と。
三島有紀子監督は「人には誰だって人生が止まってしまう時があります。 そ んなとき、夜空を見上げると、月はいつもそこにあって、暗い夜道を少しだけ 照らしてくれる。 そんな月のような映画を作りたいと思いました」「ちょっと 心が欠けている人々が、この風景のなかで満たされていく映画」を、と書いて いる。 監督はそれを見事にやりとげて、鬼じゃない、お爺さんの目にも涙。
パンを二人で分け合う幸せ ― 2012/03/04 04:43
映画『しあわせのパン』に出て来るパンも料理も、なんとも美味しそうだ。
夏の客は、沖縄旅行を彼氏にすっぽかされた東京のOL(デパート勤務?)カオ リ(森カンナ)と、地元の鉄道で働き北海道を出られないトキオ(平岡祐太)。 湖 を望むテラスで、サプライズのカオリ誕生日祝いでは、クグロフというフラン スやオーストリアのクリスマスに欠かせないドライフルーツや木の実入りのケ ーキのようなパン、夏野菜のバーニャカウダ、なすとズッキーニのラザニア。
秋の客は、バス停で佇んでいた少女未久(八木優希)と、未久のパパ(光石研)。 「あったかいごはん、作ってます。お腹が空いたら来てください。マーニ」と いう手紙をもらって、来店。 家を出て行ったママの得意料理だった、かぼち ゃのポタージュ。 ユリネときのこの小さなコロッケ、目玉焼きのココット、 ブロッコリーとカリフラワーのチーズ焼きを、ワンプレートに。 常連阿部さ んの、中身が謎のトランクには、アコーディオンが入っていた。 みんなが温 かい気分になった、その演奏のお礼は、林檎のはちみつパン。 阿部さんは「私 は辛党なんですよ」と言いながら、それを美味しそうに食べ、「今夜はワインも」 と言う。 秋は栗のパンもある。 生栗を皮のついたまま半分にしてオーブン で焼いて、粗くつぶし、パン生地でつつんで焼き上げる。
冬の客は、阪神大震災で風呂屋と娘を失い、思い出の月浦に死ぬためにやっ て来た史生(ふみお・中村嘉葎雄)とアヤ(渡辺美佐子)。 パンは食べられないと、 ご飯を炊いてもらったアヤだったが、小豆と青えんどう豆を使った豆の白パン を食べてみて、「おいしい。お父さん…私、明日もこのパン食べたいなぁ」と元 気になる。 じゃがいものラクレットチーズがけ、ローストチキンのローズマ リーのせ、スペインオムレツ、そして根っこの冬野菜のポトフは、人参、玉葱、 じゃがいも、結わいた肉を、ストーブにかけたダッチオーブンでコトコト煮込 んだもの。
この映画で、繰り返し描かれるのは、パンを二人で分け合うシーンだ。 焼 き立てのパンを手で半分に割ると、ふわりと湯気が立ちのぼる。 笑顔になっ た二人が顔を見合わせる。 歳を取ると出来なくなることばかり、なのではな く、「最後の最後まで、変化し続ける」自分を信じて、明日を生きていく。 パ ンを分け合える、大切な誰かと一緒に。 映画のその主題のシンボルが、カン パーニュという大きなパンだ。 「はい」とか「そうです」、日頃の饒舌とは違 う水縞くんの大泉洋が、「カンパーニュ」は仲間 (カンパニオ)だと、珍しく説 明する。
「一人じゃなかったらできますよ。誰かと一緒にだと、できることがあるん ですよ」
夕飯に私はご飯を、家内は帰りにASANOYAで買った「カンパーニュ」を食 べていた。 私は「ちょっと、ちぎってよ」と、つい言ったのであった。
「荒川」は人工の川だった ― 2012/03/05 03:09
落語国と北海道を旅していたが、ふたたび「ブラタモリ」に戻りたい。 11 月24日放送の「荒川」編には、びっくりした。 子供の頃から、江戸川区小 松川の「荒川」の土手下に、父のガラス工場があった。 小松川といっても、 小松川橋の手前、亀戸寄りの小松川高校のそばだった。 京葉道路はその先、 交通渋滞で有名だった小松川橋で、500メートルほどの「荒川」を渡る。 大 人になってからは、そのガラス工場に毎日通って、帳面をつけていて、工場を 畳んだ時は六十歳になっていた。 その「荒川」が人工の川だということを「ブ ラタモリ」でやった。 正直に言おう。 恥ずかしながら、知らなかった。 い かに能天気に、ボォーッと暮してきたかを、七十歳になって、目の前につきつ けられたようなものである。 私の七十年は、何だったのか。
そういえば、「荒川放水路」と言っていた。 江戸川区の地図を見て頂くと、 わかるのだが、区役所もある区の大部分は小松川橋の先にある。 総武線の平 井駅のあたりから、船堀橋の先にかけて、「旧中川」と「荒川」に挟まれた島の ような土地も、江東区ではなくて、なぜか江戸川区で、そこにわがガラス工場 も、小松川高校も、江戸川税務署も、かつては小松川警察もあった。
明治の末まで、関東の荒川と、その下流の隅田川、江戸と東京の下町は洪水 の常襲地帯であった。 その氾濫を防止するため、とくに1910(明治43)年の 大洪水が契機となり、「荒川放水路」が計画された。 翌1911 (明治44)年に着 工、完成したのは1930(昭和5)年だった。 北区志茂の岩淵から中川河口(東京 湾)へ延長24キロメートル、幅450~580メートルの人工の川を掘削、築造し た。 岩淵に水門を造って、放水路へ洪水量の全量を分流する。 洪水防止と 水運の役割も果たす。 完成後、下町の洪水は減少した。 1965(昭和40)年の河 川法改正で、「荒川放水路」は「荒川本流」となった。
「ブラタモリ」では、岩淵水門に昇り、「荒川放水路」の径路が氷河時代の「古 東京川」に重なることもやっていた。 徳川家の信仰もあった浄光寺という古 刹が、掘削されて川の中になる土地にあって、古くからの川を埋め立てた土地 に、移転させられていた。 他の道と方向が違う当時の参道や、旧河川に沿っ て曲がる道路が、残っていた。 それは小松川の工場周辺の様子を彷彿とさせ るものだった。 地図を探したら、浄光寺は青龍山薬王院・木下川薬師、葛飾 区東四つ木1-5-9にあった。
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