「明六雑誌の出版を止(やめ)るの議案」 ― 2012/05/29 01:58
福沢諭吉の、明治8(1875)年9月1日に審議された「明六雑誌ノ出版ヲ止 メルノ議案」は、4日付の『郵便報知新聞』に掲載された。 中野目徹さんが 『明六雑誌』(岩波文庫)収録分のコピーを、レジュメに付けてくれた。 共同 校注者の山室信一さんと議論して、「明六雑誌の出版を止(やめ)るの議案」と、 「やめ」の読みのルビを振ったという。 16名の明六社社員の内、12名が賛 成、4名が反対したとある。
福沢の議案の、大事なところは次の通り。
「本年六月発行(ママ)の讒謗律および新聞条例は、我輩学者の自由発論と ともに料率すべからざるものなり。この律令をして信(まこと)に行われしめ なば、学者はにわかにその思想を改革するか、もしくは筆を閣(かく)して発 論を止めざるべからず。」
「ゆえにこの際に当て、わが社の決議すべきは、第一、社員本来の思想をに わかに改革し、節を屈して律令に適し政府の思うところを迎えて雑誌を出版す るか、第二、制律を犯し条令に触れ自由自在に筆を揮(ふるい)て政府の罪人 となるか、ただこの二箇条あるのみ」
「節を屈すること能(あた)わず、発論を自由にすることもまた能わず。し からばすなわち単に雑誌の出版を止(やめ)るの一策あるのみ。」
「元来学者の発論は無形の精神より出るものなれば、有形の律令をもってこ れを縄墨(じょうぼく)となすこと、はなはだ易からず。」
「まさに人をしてわが思想を支配せしむるものといわざるを得ず。」
「明六社はもとより政談の社にあらず。すなわち社則の明文に、意見を交換 し知を広め識を明(あきらか)にするとあり。しかりといえども、今この明文 の主旨を達せんとすれば、人の意見には範囲を設くべからず、知識の域には境 界あるべからず。しかるにその意見を交換し知識を広(ひろめ)るの際にあた りて、その論及するところ果して政治の領分に亘(わた)ることなきを期すべ きや。会社設立以来の雑誌を見ても、すでにその期すべからざるを知るべし。」
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