卒業50周年経済学部U組クラス会2014/04/08 06:38

 経済学部U組の仲間は、慶應義塾主催の卒業50年祝賀パーティーの会場か ら、代官山のヒルサイドテラスのレストラン、ル・コントワール・オクシタン へ移動して、クラス会を開いた。 ヒルサイドテラスの大家さんは、同級の朝 倉健吾さんである。 連絡のついた45名の内、30名もの多数が出席したのは、 幹事を務めた私の、大きな喜びであった。 欠席の一人は、目出度くも孫娘が 文学部に入学して、家族で食事をするからとのことだった。

 九州の久留米から来てくれた牛島正博君から、さっそく礼状をもらった。 私 信ながら、当日の雰囲気がよく伝わるので、ちょっと引用する。 「『馬場、死 ぬなよ』とU組の皆なが声を上げるのも『宜べなるかな』です。山あり、谷あ りの人生の荒波を潜り抜け役目を終え兜を脱いだ三十名の戦士達が、何の屈託 もなく和気藹々と語り合う『出会いの場』、何と素晴しいことでしょう。私もそ の輪の中に入って堪能しました。人は歳を取るに連れて童心に返ると言います が、何の利害関係もなく子供心剥き出しに雑談に花を咲かせる三十名の同窓生、 その心を結び付けるのは慶應義塾の大きな柱を介した堅いご縁が有ればこそ、 『自分は慶應義塾経済学部に在籍していたのだ』との思いを新たに、福岡行き の飛行機に乗りました。」

 辻良昭さんが撮ってくれた写真を、みんなに送るのに、当日会場で言いそび れたことにふれた。 「お互いに無事に50年を迎えられたことは、喜ばしい 限りですが、多くのクラスメイトが残念ながら、この日を迎えられませんでし た。お名前を列挙して、彼らのことを思い出したいと思います。」と。 全体で 65名という多人数だったこのクラスで、14名が亡くなっている。 昭和16,7 年(浪人組は昭和14,5年も)生まれだから、幼時の栄養に問題があったのかも 知れない。 一人一人のことを思い出す。 クラス会を急に欠席して、その会 費を私の会社までわざわざ届けに来た男。 落研出身、僧侶で税理士、将来お 世話になるかと思っていたのに、先に逝ってしまった男。 毎回、もう死ぬと いいながら、病院からクラス会に出てきたりして、なかなか死ななかった不死 身の男。 自動車会社の社長で、引退してからの史跡巡りを楽しみにしていた 男。 あちらで、みんなでクラス会をやっているだろうか。