学習院の古典落語研究会と落研創設 ― 2014/04/10 06:29
津村節子さんは、「早稲田大学の学生がこの催しを聞きつけて取材に来た。大 学の落研(おちけん)の始まりは、吉村が『赤繪』を活版にするための資金集 めだったのである」と、書いている。
今年の1月、私は小沢昭一さんのことにふれて、永六輔さんが追悼文に次の ように書いていたのを21日の日記で紹介した。 「永六輔さんは、早稲田高 校の2年か3年の時、早稲田大学の大隈講堂の下の小講堂で、落語研究会が開 かれているのを見て、小沢さんに挨拶したのが初対面だったという。 小沢さ んは早稲田落研の創設者の一人だった。 永さんは、その後全国の大学に落研 ができ、現在の若い噺家の大半はその出身者だから、小沢さんは落語という芸 をつないで発展させるきっかけもつくっていたのだ、と言っている。」
小沢さんが、早稲田大学で落研を創設したのは、何年のことだろう。 小沢 さんは、旧制麻布中学でも同級だった加藤武、大西信行さんらと、日本で初め て学校での落語研究会を創設したといわれている。 名称は「寄席文化研究会」 としたかったが、大学に認めてもらえず「庶民文化研究会」とした。 小沢さ んも、加藤武さん、大西信行さんも、1929(昭和4)年生れで、小沢さんの早 稲田大学文学部仏文科卒業は1952(昭和27)年のようだ。 吉村昭さんは、 1927(昭和2)年生れだが、結核の闘病期間があり、学習院の古典落語研究会 は1951(昭和26)年かと思われる。 この催しを聞きつけて、取材に来た早 稲田大学の学生は、小沢昭一さんたちだったかもしれない。 早稲田落研で検 索すると1947(昭和22)年創設、東大落研で検索すると1950(昭和25)年 創設、とあるのだけれど…。
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