同じ時代の育ち ― 2014/04/12 06:28
末盛千枝子さんの『父と母の娘』の「千枝子という名前」に、やはり同じ時 代の育ちなのだなという、思い出話が出てくる。
盛岡には、お父上舟越保武さんのご親戚が住んでおられて、疎開の一家は大 叔父さんの柔道場の三部屋続きの「師範台」や、その持ち家に住むことになる。 舟越さんは進駐軍のキャンプに似顔絵を描きに行っていたことがあって、そう いう日は、帰りに、真っ白い食パンをもらってくるので、千枝子さんは、とて も楽しみだったという。 私にも、当時メモリアルホールという名になってい た両国の国技館へ大相撲を見に連れて行かれ、進駐軍のGIの食べている食パ ンのあまりの白さに驚き、よだれをたらして眺めていたら、わけてくれた経験 があった。 舟越さんの家には、アメリカの若い兵隊さんが遊びに来て、大き な段ボールにお菓子を詰めて持ってきてくれたという。 そのお菓子の名前が、 私にも懐かしい。 アーモンドロカというピンク色の缶に入ったチョコレート 菓子、黄色い包み紙のバターフィンガー、ハーシーのチョコレート、オレオ。 私が思い出すのは、アメリカの軍隊用の携行食が入ったコンパクトな紙箱であ る。 いろいろと、美味しいものが入っていた。 リッツのクラッカー、マー ブル・チョコレート、バター・ピーナツ、お湯に溶くとレモネードになる粉な どの味は、忘れがたい。
一家が柔道場の次に、移り住んだ二階建ての家は、今もそのまま残っていて、 先日行ったみた千枝子さんは、タイムスリップしたように懐かしかったそうだ。 その二階の窓の手すりに座って、歌を歌ったり、紙芝居屋さんをのぞいたりし たという。 「紙芝居屋さんは『少年王者』などという冒険ものを上手に読み 聞かせていた。だれが書いたのか、アメンホテップという王様が出て来たよう に思う。」とある。 この作者が、山川惣治だというのは知っていた。 調べる と、戦前から紙芝居でヒットし、1947(昭和22)年に単行本になった。 小 学館の娯楽部門だった集英社は、これによって経営の礎をつくり、『少年王者』 を看板商品にした少年雑誌『おもしろブック』を1949(昭和24)年に創刊し ている。 私は子供の頃、「アメンホテップ」が、エジプト王朝の王の名だと は知らなかった。
実は柔道場の「師範台」というのが、わからなかった。 末盛千枝子さんに、 そう白状すると、「相撲部屋などで、親方が座っている一段高い畳の空間が師範 台です。そして、なぜか、みんな三部屋続きのようです。」と、教えてくれた。
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