平成、エセ、ケチ、ヘタクソ、ヘッポコ2014/06/26 06:31

 丸谷才一さんの『別れの挨拶』から、もう一つ。 初出は1995(平成7)年 7月『文藝春秋』臨時増刊「短篇小説名作選」の編集後記。 丸谷さんは、迷 信が嫌いだ。 これは父親の影響がかなりあるらしい。 父は雪国(山形県鶴 岡市)の町医者で、患者やその家族の旧弊さに手を焼いていたらしく、しきり に近代的態度を説いたという。 下の姉の婚礼のときなど、大安の日を選ぶに 当って、「向うの家の希望だし、それにこの日に決めても別に悪いことはないか ら」と、幼い才一さんに言い訳したぐらいだった。 もっとも、職業以外の条 件も作用していたかもしれない。 宗旨は真宗だったから、「門徒もの知らず」 の合理主義的思考が、その前にあったのじゃないか。

 ともかく丸谷才一さんは、子供の頃から迷信嫌いで、断ち物も厄除けもした ことがなく、どんな数字も厭がらないのだが、最近一つだけ、ちらりと気にし ていることがある、という。 平成という年号は、やはりまずかったか、と思 うのだ。

 これは何で読んだか忘れたが、平という字を上につけた年号は凶で、それゆ え平治が一つあるだけ(中国には一つもなし)。 その平治のときも反対論がし きりだったのに、敢えて押切って名づけると、果然、平治の乱が起ったという のだった。

 もっとも今の年号に改まったとき、丸谷さんは縁起をかつぐよりむしろ、ヘ ーセーとエ列音が二つつづくのは厭だと思った。 日本語ではエ列音は一般に 位が低い。 エセ、ケチ、セコイ、デレデレ、ネトネト、レロレロ、みなマイ ナス方向の言葉だ。 殊にいけないのはヘで、ヘイコラ、ヘタクソ、ヘドモド、 ヘッポコ、ヘラヘラと、ろくなことはない。 それなのにヘーセーだなんて、 きっといまに国が乱れるぞなんて冗談を言っていたら、予言は的中してしまっ た、という。

 そこでどうすればいいか。 昔なら早速、改元するところだが、今は一世一 元だから変えるわけにいかない。 困ったぞと思っていると、いい手があった。  音読みはやめて、訓読みにするのである。

 いい加減な思いつきではない。 日本文化の伝統にもとづくもので、由緒正 しい方式なのだ。 朱鳥(しゅちょう・すちょう)という年号を『日本書紀』 ではアカミドリと読んでいる。 万葉仮名でそう書いている。 日本史の碩学、 坂本太郎の随筆で知ったことだが、大化をハジメテナル、白雉(はくち)をシ ロキギスと読んだ『日本書紀』の古訓本があるという。 そこで今後は平成を タヒラナリと呼ぶことにしよう。 タヒラナリ七年六月二十一日、丸谷才一し るす。