柳家蝠丸の「江島屋怪談 恨みの振袖」前半2024/05/27 07:01

 柳家蝠丸は、一昨年「ほうじの茶」、昨年「江ノ島の風」という珍しい噺を聴いた、細身、白髪頭、大泉滉風(古いね)の顔立ち。 今日のは江戸時代にあった本当の話を、三遊亭圓朝が創作した(明治2(1869)年「鏡ヶ池操松影」の中の「江島屋騒動」)。 天保の頃、芝日蔭町に江島屋というイカモノを売る古着屋があった。 イカモノというのは、着物を糊付けなどしてある。 その江島屋の番頭金兵衛が、極月というから12月、下総に掛取りに出て、道に迷った。 原の中で人家がない、日が暮れて、空から白いものも落ちてきた。 遥か向うに灯が見えた。 一軒の農家、軒が傾いたあばら屋。 旅の者ですが、道に迷って、一晩泊めていただけないか、と声をかける。 戸を開けて、こちらにお入り、囲炉裏で足を温めなさい。 一人の女、歳がわからない。 ゴマ塩の髪が垂れ下がり、鼻が高い、胸がはだけて、骨と皮ばかり、猫背で、前へ乗り出す。 その姿は、芝居の鬼婆だが、上品な人柄。 娘に先立たれ、世捨て人、乞食同然の暮らしだと言う。 向うの部屋で休めといわれ、二畳の板敷に横になり、寝込んだ。 妙な臭いがするので、障子の破れ目から覗くと、老婆が友禅の振袖を破いて、火の中に入れている。 ふらふら立ち上がると、柱の紙に、五寸釘をカチンカチンと打ち込む。 囲炉裏の灰の中に、何か字を書くと、そこに竹の火箸を突き立てている。 これは、逃げたほうがいいか。

 もし、旅のお方、何も差し上げるものはないけれど、こちらへ、囲炉裏の火がもったいないから、お話を。 言葉からおわかりでしょうが、私は江戸の生まれで、下総の大貫村へ、夫の蔵岡玄庵は医者だったが早く亡くなり、一人娘が残った。 器量がよいので、名主の息子に見初められ、どうしてもということで五十両の支度金を下さった。 十月三日が婚礼ということになり、急ぐので染めている暇はなく、江戸の古着屋で婚礼衣装を整えた。 その友禅の振袖が「糊付け」でして、婚礼当日、馬に乗って嫁入りの途中、にわか雨に降られ、濡れて先方に着いた。 花嫁が客の給仕をする習わしだったが、客の一人が娘の着物の裾を踏んだ。 糊付けの「イカモノ」の腰から下が剥がれ、万座で大恥をかいた。 名主が怒って、こんな嫁を貰うわけにはいかぬ、五十両返せ、と。

 明くる朝、娘の姿がない。 神崎(こうざき)の土手に、娘の履物が見つかり、木の枝に着物の片袖がかかっていた。 身投げをして、死んだのだ。 金を返せないので、村から追われ、この鎌ケ谷新田に移って来た。 婆アの執念で、憎い古着屋を呪い潰す、三七、二十一日の万願の日だ。 何という古着屋で? 柱に受取りが貼ってある。 芝日蔭町の江島屋治右衛門。

 金兵衛の顔色が変わった。 私も古着屋の番頭ですが、江島屋は存じません。 この五両で、偉い坊さんでも呼んで、お経を上げてもらって下さい。 お金は、要りません。