松岡正剛さん、情報や文化を組み合わせた「編集工学」2024/09/03 07:10

 松岡正剛(せいごう)さんが、8月12日に亡くなった。 1944年、京都市生まれ、80歳だった。 訃報は、「情報や文化を独自の視点で組み合わせる「編集工学」を提唱し、日本文化を幅広く論じた編集者・著述家」と。 早稲田大学文学部仏文科を中退後、広告会社勤務を経て、71年に出版社「工作舎」を設立、雑誌「遊」を創刊し、みずから編集長を務めた。 87年に編集工学研究所を設立、「情報の歴史」や「知の編集工学」など、情報や編集をキーワードに文明の歩みをたどる著作を次々と発表した。 美術や宗教も幅広く論じ、「日本という方法」など日本文化論にも取り組んだ。 2000年からインターネット上で読書ガイド「千夜千冊」の連載を始め、今年7月の1850夜まで続けた。 編集工学を教える「イシス編集学校」では校長、20年からは角川武蔵野ミュージアムの館長を務めていた。

 松岡正剛さんは、ずっと気になる人だった。 「編集工学」というものも、よくわからないながら、関心の範囲が近いという感じを持っていた。 私は、高校新聞部出身で、ずっと個人通信(ひとり新聞)の発信をつづけてきた。 加藤秀俊さんの『整理学』、梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』以来、情報の処理、発想法に関心を持ち、インターネットのパソコン通信にも初期から関わることになった。 仕事は零細な町工場の経営だったから、経験の範囲が狭いので、書くものはどうしても本で読んだものが多くなる。 好奇心の範囲は、学校の関係から福沢諭吉、幕末を中心とした日本の歴史と文化、子供の頃から好きだった落語、そして文芸、俳句と、雑多で広い、言わば雑学である。

 松岡正剛さんは、今年3月11日から29日まで、朝日新聞朝刊文化面の『語る―人生の贈りもの―』で14回にわたり、その人生を山崎聡記者に語っていた。 切り抜いてあったので、読み返してみたい。

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