題詠と字余りなど ― 2007/03/13 08:24
霾(つちふる)と蘩蔞(はこべ)の句会で、私が選句したのは次の七句だっ た。
霾や税務相談列なせる 英
中華街の二世三世霾れる ひろし
霾れるまゝに暮色に至りけり 同
はこべらを引けば思はぬ嵩なせる 英
はこべらへサーカス団のテント張る 永子
はこべらや畦に赤子の眠る籠 同
はこべ喰むしゃきしゃきと野のかほりかな 和美
三人も、同じ方の句を二句ずつ採っていた。 「はこべ」では、実際にさわ ったり、食べてみた感触を重視した。 「しゃきしゃき」がこの日「はこべ」 をレポートし、実際に食べてもみたという和美さんの作だったのは、その意味 で我が意を得たりという感じがした。
英先生のお話。 こうした題詠は大事。 二つの方法がある。 われわれ花 鳥諷詠の徒は、過去の記憶のファイルをめくりながら、陥りがちな類句という 水溜り(沼)から何とか抜け出そうと、もがく。 前人未踏の境地に達するの はなかなか難しいのだけれど。 もう一つのやり方は、藤田湘子門下の人たち (かつてネットの句会で教えていただいたことのある小澤實さんもそのお一人 だろうか)のように、洒落たフレーズを持っていて、季題を探す。 コンテス トで賞を取るような句が生まれることがある。 字余りについて。 有効な字余りというものはある。 虚子の五百句の内で も、十数パーセントあったはずで、それは効果があったから。 中七の八は難 しい。 一般に、五七五の一つのパートでの字余りにとどめるべきだというが、 これも例外はある。 初心の人は、細かい、微妙なところの処理が、目について採ってもらえない、 ということがある。 句会に参加している内に、だんだん呼吸が飲み込めるよ うになる。 ともかく沢山つくること、七句出句でも二十数句書き留めておく というように。
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