ひょんな所に「先達さん」2007/03/25 06:36

 そのカソリック系の大学を出た「尊皇派」の友人だが、奥さんがフラダンス を踊りにハワイに出かける一週間を、どのように過そうかと考えて「四国遍路 の旅」を選んだ。 早春の四国の風景を眺めながら、寺々をめぐるのも、悪く はないと思ったのである。 高松空港でバスに乗ると、「先達さん」と呼ばれる 人のよさそうな小太りの男が、「二泊三日で阿波一国23ヶ寺を、修業しながら 回りましょう」と挨拶した。 「修業!」なのであった。 予め旅行社に注文 する金剛杖、菅笠、白衣などは頼まないで、納経帳(各寺でサインを頂き、御 朱印を押して頂く本)だけを注文してあった。 35人の一行のうち、装束の支 度を何もしていなかったのは、友人とあと一人だけで、完全に浮いてしまった。

 各寺の御本堂と弘法大師堂で、お線香とお灯明を供える(のを横目に眺め)、 祈願事項を記入した「納札」を箱に入れて祈り、渡された経本によって「先達 さん」の指導でお経を唱える。 約4頁にわたり、5~6分はかかる。 途中で 友人も白衣だけは買い、恰好を付けた、という。 朝は5時半起床、300段以 上もある階段を登ったり、いろいろ大変、三日間で23ヶ寺、お経を読むこと 実に46回+1回(バスの中で)。

 帰宅して息子さんに報告すると、「感謝しなさい。あと65ヶ寺も頑張りなさ い」。 なんのことはない、うちにも「先達さん」みたいなのが居た、という。

よみやすい文をかく<等々力短信 第973号 2007.3.25.>2007/03/25 06:39

 若い連中を中心に新しい雑誌を出す計画があるのだが、彼らが「一人大人に 見ていて欲しい」といっているというお話があった。 閑人のことだから「た だ見ているだけなら」と参加したら、老兵もたちまち戦闘に巻き込まれること になった。 それで、雑誌などの校正の専門家から話を聞く機会があり、とて も勉強になった。 表記の基準についても、一冊の初めから終りまで、筋が通 っていて、目が行届いていることが、大事だという。 中学を卒業した人なら 読める文章をめざし、「頂く」・「戴く」→「いただく」、「下さる」・「下さい」→ 「くださる」・「ください」、「致します」→「いたします」というように、「開く」 のが原則だそうだ。 最近の自分の書き方を、反省させられた。

パソコンで文章を書くようになってから、難しい字を使うようになった。 手 で書けなくても、打てば「出てくる」からである。 「聞く」と書いていたの を「聴く」や「訊く」も使う。 芝居や野球は観劇・観戦だから、「見る」でな く「観る」と書く。 「薔薇」や「憂鬱」も平ちゃらだし、昔は「筆を擱く」 「彼を措いてない」と書いたと知ると、「恰好」をつけ、つい使いたくなる。 こ の傾向は、私だけのことではないだろう。

新かなづかい、当用漢字の戦後教育を受けて育った。 高校生の頃から、堀 辰雄のやさしい文章を好み、福沢諭吉の言う「山出しの下女に障子越しに聞か せても分かる」平明達意の文章を心がけてきた。 福沢は『文字之教』のはし がきで、日本人の発明した仮名を駆使し、ゆっくり漢字を減らす方向へ進んで 行ってはどうか、といった。

その後、梅棹忠夫さんや加藤秀俊さんなど京大系の人たちの、読みやすい文 章に、大きな影響を受けた。 例えば梅棹さんは、つぎのように書く。 「文 章をかくという作業は、じっさいには、二つの段階からなりたっている。第一 は、かんがえをまとめるという段階である。第二は、それをじっさいに文章に かきあらわす、という段階である。」(『知的生産の技術』) 加藤秀俊さんは2000 年の『日本語の開国』(TBSブリタニカ)という本で、日本語の自由化・国際 化のためには、漢字の呪縛から解き放された、簡潔で意味が明確に伝わる「実 用日本語」が求められている、といっている。

 平明達意の文章をめざしてやってきたつもりだったのだが、いつの間にか、 パソコンの漢字変換で「出てくる」難字に侵略されて、字面が黒っぽくなって しまっていた。 日本語については、「戦後レジームからの脱却」をしてはなら ないのだろう。