「短信」で取り上げた城山三郎さんの本2007/03/27 06:59

 22日、城山三郎さんが亡くなった。 間質性肺炎だった由、同じ病気だった 友人が、それを知ってから4冊の本を書いて亡くなったことを思う。 城山さ んの本について、短信に何を書いたかを、ふりかえってみる。 最初は1975.7.5. 「広尾短信」14号、異色の官僚、佐橋滋氏をモデルに開放経済への移行に際し て国際競争にさらされる日本経済を、重要産業の体質強化を目ざす特振法によ って「指導」していこうとする通産官僚たちのドラマ『官僚たちの夏』。 「開 放経済」「特振法」「通産官僚」などの言葉が懐かしい。 ひとにぎりの高級官 僚というパワーエリート達の実態をもっとよく知る必要がある、という読後感 を書いていた。

 1988.8.25と9.5.「等々力短信」471号と472号では「「卑」に非ず」「サム シング」の題で、国鉄総裁を務めた石田禮助さんを描いた『「粗にして野だが卑 ではない」石田禮助の生涯』。 石田さんは三井物産の代表取締役を突然辞任さ せられているが、日米開戦前、戦争回避の工作をしたためだったことを、この 本で初めて知った。 国鉄総裁時代のこの人は、私も好きだった。

 1998.6.25.と7.5.の811号822号では、『部長の大晩年―永田耕衣の満開人生』。  異色の俳人、永田耕衣は関西での三菱グループを代表する工場だった三菱製紙 高砂工場を勤続38年ナンバー・スリーまで勤め上げ、定年退職した人だった。  そして定年後42年半、勤続年数を上回る歳月を、充実した、人間らしい「マ ルマル人間」として生きた。 『毎日が日曜日』以来の、城山さんのこのテー マは、今の私や同年代の人々、それにつづく団塊の世代に、大切な示唆を与え ている。