扇遊の「百年目」2010/04/06 07:31

 トリの扇遊は、小豆色の羽織に、ほとんど白に見える薄緑の着物。 花見の 場所取りは新入社員がやるという法律があるのか。 でも今は、入社出来ただ け幸せ、それだから噺家がずいぶん多くなった。 噺家になるには師匠の門を 敲くのだが、最近はやり方が変って来た。 ある師匠の所には、往復はがきが 来て、入門を許可「する」・「しない」に○をつけるようになっていた。 その 師匠、「しない」に○をつけて、返信した。 前座、二ッ目、だいたい13~14 年で真打。 昔は10~11歳で奉公に行き、小僧を10年、お礼奉公を1年。 こ の間、無給金だが、住み込みで行儀作法、読み書きソロバン、商売のコツまで 教わる。 22,3歳で手代、30前後で番頭、番頭になれば世帯が持てる、通い 番頭。 独身だと二階にいて大番頭、目を光らせていて、何かと小言を言う恐 い存在だった。 旦那は奥にいて、あまり店に顔は出さない。

 大番頭の治兵衛(43)が店の者一人一人に、順番に小言を言うところから「百 年目」に入る。 「百年目」は二年前の2月28日、第476回の落語研究会で 柳家権太楼が演じていた。 3月6日の〈小人閑居日記〉に物語がある。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2008/03/06/2701642

扇遊は、ほぼ権太楼と同じに噺を進めた。 びっくりしたのは、向島で大散財 して遊んでいる姿を旦那に見られた治兵衛が、その夜眠れず、明日旦那の言う ことをあれこれ考えるところで、権太楼が演った円生の声色を、扇遊も使った ことだった。 「治兵衛さん、あんたっていう人は…、どーも大変なことをし でかして…、さよーなら」。 扇遊らしいものを挙げれば、次のような個所だろ うか。 これより前、番頭が小言を言い終え、番町の方のお屋敷を回って来る と出かける堅物らしい顔を、「閻魔様が塩辛なめたよう」。 屋形船の障子を締 め切って酒を飲み、人いきれと暑さで、番頭がすっかり出来上がっていたこと にしたこと。 旦那が、お幇間医者の玄伯に、治兵衛の堅さを説明して、「とに かく堅い、石の上で転ぶと、石が痛いという」

 扇遊の旦那も、おおむね寛容で、見るべきところはきちんと見ている。 身 代は大事だから、一睡も出来ずに、帳面を隅から隅まで調べた。 来年はきっ と店を持たせます、と約束し、そのために後輩を育ててくれ、いい所を見つけ て伸ばしてやってくれと、情理を尽くして説く、いい旦那だった。

「小野竹喬展」の気持よさ2010/04/07 07:04

 竹橋の東京国立近代美術館で「生誕120年 小野竹喬展」を見てきた。 小 野竹喬の絵は、清々しくて、美しい。 予想通りの気持よい展覧会だった。 以 前、茅場町にあった頃の山種美術館で、竹喬の展覧会を見て感心したことがあ って、出身地の岡山県笠岡市にある竹喬美術館にも行ってみたいと思ったほど だった。 今回は、その笠岡市立竹喬美術館からも、沢山の作品が来ている。

 展覧会は、小野竹喬(1889(明治22)~1979(昭和54))の作品を、“色” に重きをおく作画へと転じた1939(昭和14)年頃を境に、二つの章に分ける。   (1)写実表現と日本画の問題。(1903年~1938年) 竹喬は1903年に京都 の竹内栖鳳に入門、西洋近代絵画の写実表現をとりいれた栖鳳に学ぶ。 絵の 巧さは天才的で、入口近くに並ぶ「野之道(芭蕉句意)」「洛外の山家」が17 歳、「花の山」「故郷の春」が20歳の作品というのには驚愕する。 この時期 の竹喬の問題は『写実』、それは技法だけでなく、いかに自然の真実をつかむか という葛藤だった。 次第に日本画材で『写実』を追及するのに困難を覚える ようになり、1921年からの約1年間のヨーロッパ旅行をはさんで、東洋絵画に おける線の表現を再認識するようになり、線描と淡彩による南画風の表現に到 達する。

 (2)自然と私との素直な対話。(1939年~1979年) 古い大和絵の表現を 手本として、色の面によって対象を把握し、日本画の素材を素直に活かそうと する画風に転換する。 それ以来、竹喬は温雅な色彩とおおらかで簡潔な形を 特長とする表現を深めていく。 「風景の中にある香りのようなもの」と、自 ら言うものを画面にとらえようと、さりげない自然の表情に眼を向け続けるの だ。 例えば、空や雲を背景として、庭の樹木の枝をみつめる。 黎明、茜時、 さまざまの時間のそれ。 空の色は変化し、雲はいろいろな形を見せる。 晩 年、80歳代の作品の、単純化した、装飾的な画面は、ある種の純粋な、そして 平和な世界、究極の到達点を感じさせた。

竹喬の「奥の細道句抄絵」2010/04/08 07:05

 1975(昭和50)年、86歳の小野竹喬は、東北に出かけて、羽黒山や最上川、 日本海、田圃や紅花をスケッチしている。 「小野竹喬展」では、その素描や 下図とともに、翌1976年87歳の竹喬が完成させた代表作「奥の細道句抄絵」 10点(京都国立近代美術館蔵)が展示されている。 松尾芭蕉の『おくのほそ 道』の句意を絵にしたものだ。 〈田一枚植ゑて立ち去る柳かな〉〈笠島はいづ こさつきのぬかりみち〉〈まゆはきを俤にして紅粉(べに)の花〉〈五月雨をあ つめて早し最上川〉〈涼しさやほの三か(日)月の羽黒山〉〈暑き日を海にいれ たり最上川〉〈象潟や雨に西施がねぶの花〉〈荒海や佐渡に横たふ天の河〉〈あか あかと日は難面(つれなく)もあきの風〉〈浪の間や小貝にまじる萩の塵〉 名 高い句とともに、スケッチの旅で素材を拾うことができたものを作品にしたの だろう。 昨日書いた「単純化した、装飾的な画面」で、「ある種の純粋な、そ して平和な世界、究極の到達点」が、ここに現出されている。

 小野竹喬の制作態度は、初期の『写実』追及の頃から、一貫して俳句の作り 方との近接を感じさせる。 自然に向き合い、時間をかけて、徹底的に観察す る。 そこで心に感じ、引き出し(抽象し)たものを、五七五の文字(ことば) にするか、絵に描くかが違うだけなのだ。 例えば、広沢の池を描いたという 「池」(1967年)、芦と波だけの簡素で清々しい絵を眺めていると、つくづく、 これは俳句だなあと思うのである。 展覧会の第2章は、いみじくも「自然と 私との素直な対話」と題されていたし、「行吟帖」(行吟は俳句の吟行と同じ) と名付けられたスケッチブックも展示してあった。

小野竹喬の「波切村」2010/04/09 06:46

 「小野竹喬展」に代表作の一つ、「波切村」という作品が展示されている。 「波 切」を「なきり」と読むことを知っていたが、それはあとで述べる。 1918(大 正7)年の作、笠岡市立竹喬美術館蔵で飯田弟一氏旧蔵、遺族寄贈とある。 海 沿いの(わずかに海があるのでわかる)、赤茶色の崖の風景、山道や階段には働 く人の姿が見える。 「波切村」IとVIIという素描もあり、そちらは働く人 の数がずっと多い。 作品になった屏風の右隻は朝、左隻は夕方の風景だ。

 「波切村」は三重県にある。 小野竹喬が波切とどんな関係があったのかと 思って、調べてみる。 大正期、京都在住の日本画家たちの多くが、ここを訪 れて描いたのだそうだ。 竹喬のほかに、土田麦僊、入江波光などの名があっ た。 「波切村」は1918(大正7)年の国画創作協会の第一回展に出品された。  国画創作協会は、その年、小野竹喬が村上華岳、土田麦僊、野長瀬晩花、榊原 紫峰とともに設立した。 村上華岳と土田麦僊は、京都市立絵画専門学校(現、 京都市立芸術大学)で竹喬の同期生(1911(明治44)年別科修了)だった。

 私が「波切」を知っていたのは、ねじめ正一さんの『商人(あきんど)』(集 英社)を読んだからだった。(<小人閑居日記>2009.8.16.~18.) 主人公、 日本橋瀬戸物町の鰹節商、伊勢屋にんべん高津伊兵衛三代目となる伊之助は少 年時代、勢州大王崎波切の七艘の鰹船を持つ大船主、天泊幸太夫の屋敷に逗留 して、良節を産することで知られていた波切で、鰹節製造の全般をつぶさに学 んだのだった。

 「ここ波切の港は船着き場と申し訳ばかりの砂浜をのぞけば岩礁ばかりだ。 岩礁の上は高さ七、八十丈はあろうかという断崖である。」「港では腰巻きひと つの女たちが群がって、大樽の鰹を運搬用の盥へと移している最中だった。」「か け声もろとも盥を持ち上げて頭に載せ、そのまま坂道を登っていく。」「鰹を入 れた盥の重さは十貫ではきかないだろう。女たちはそれを頭に載せて、急坂を 何往復もするのだ。伊之助は仰天しながらそれを眺めていた。日本橋の伊勢屋 にんべんの店に並ぶ鰹節の母親はこの女たちなのかもしれない、と思った。」

 竹喬の「波切村」にも、頭に何かを載せて運ぶ女の姿が描かれている。

「灌佛(花祭・花御堂)」と「草餅」の句会2010/04/10 07:02

 4月8日は『夏潮』渋谷句会だった。 ちょうど花祭の日で、兼題は「灌佛 (花祭・花御堂)」と「草餅」。 私の出句は、つぎの七句。

灌仏会遠きインドの赤い土

幼ナ児は甘茶の甘さなめてみる

園長は御住職なり花祭

絶え間なき落花の下に花御堂

しんしんと花は降るなり灌仏会

草餅の貼紙光り三つ買ふ

下町の門前町や草の餅

 結果は、「遠きインド」を和子さん、「園長は御住職」を英主宰、ななさん、 やすしさん、「絶え間なき」を英主宰、松子さん、「しんしんと」を和子さんが 採ってくださって、計七票。 出入とんとんながら、主宰選が二句、ふだんな かなか採ってもらえない和子さんが二句だったので、気分は上々であった。 朝 の散歩中に出合った落花に感謝である。 立ち止まって、しばらく花吹雪を浴 びていると、花びらが地面やなにかに当たる音が聴こえるようだった。

 主宰の選評。 〈園長は御住職なり花祭〉…ありきたりの社会の一こま、よ くあるふつうの話だけれど、季節が春、新入生を前に、上機嫌のご住職がやさ しい言葉で、仏のことを伝えている様子が浮ぶ。 〈絶え間なき落花の下に花 御堂〉…「季重ね」という意見もあろうが、「花御堂」という季題は「時間の限 定性」が強い。 この場合「四月八日」が働いていて、「落花」はバイプレイヤ ーになっている。