西川俊作先生の「福澤ことば辞典」2010/04/01 07:09

 西川俊作先生は「福澤ことば辞典」を、『三田評論』2001(平成13)年2月 号から2004(平成16)年3月号まで32回にわたって連載された。 どういう 「ことば」を取り上げられたか、ノートしてあったので、ここに記録しておく。

 2001年2月号 その1 瘠我慢 やせがまん

     3月号 その2 競争 competition

     4月号 その3 人間交際 「じんかん」または「にんげん」こうさい

     5月号 その4 会社 company

     6月号 その5 働社中 はたらきしゃちゅう

     7月号 その6 自力社会 じりきしゃかい

     8・9月号 その7 ヴまたはワ゛ Vの発音記号

     10月号 その8 演説 speech

     11月号 その9 帳合 book-keeping

     12月号 その10 版権 copy right

 2002年1月号 その11 独立 independence

     2月号 その12 実学

     3月号 その13 スタチスチク〔ス〕 statistics

     4月号 その14 インフォルメーション information

     5月号 その15 通義と職分 rights and duties

     6月号 その16 世間

     7月号 その17 逐円 dollar-hunting

     8・9月号 その18 漫言

     10月号 その19 惑溺

     11月号 その20 士流学者

       12月号 その21 情愛

 2003年1月号 その22 自由在不自由中

     2月号 その23 戯 たわむれ

     3月号 その24 帯患健康 たいかんけんこう

     4月号 その25 天は人の上に人を造らず人の下に人をつくらずと云えり

     8・9月月号 その26 信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し

     10月号 その27 私のために門閥制度は親の敵でござる

     11月号 その28 銭をたっとぶは独立快活の精神を逞うせんが為なり

     12月号 その29 保険の法は人の品行廉恥にも与りて力あるものと知るべし

2004年1月号 その30 日本国民抵抗の精神を保存して…

     2月号 その31 立国は私なり、公に非ざるなり

     3月号 その32 独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず

西川先生は「福澤ことば」の中から愛誦の一つ選ぶとすれば、最後の「独立 の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」だといわれる。 小泉信三さんも、 よく引用されていた『学問のすゝめ』三編の言葉だが、いかにも西川先生らし い、と思った。

一之輔の「鈴ヶ森」2010/04/02 06:41

 3月31日は、第501回落語研究会だった。 新しい定連席券を受け取るの で、早目に国立小劇場に行ったら、劇場前の桜がきれいだった。 2007年の行 列で見た立派な駿河桜は根に菌が付いて、次の年に枯れたそうで、若木になっ ていた。 牧野富太郎博士命名という仙台屋や、ソメイヨシノより濃い紅色を した神代曙(じんだいあけぼの)が素敵だった。

 「鈴ヶ森」     春風亭 一之輔

 「お茶汲み」    古今亭 志ん丸

 「花筏」      春風亭 昇太

       仲入

 「ふだんの袴」   柳亭 市馬

 「百年目」     入船亭 扇遊

 一之輔、少しふてくされた出。 去年もこの時期に出たが、気候も同じ花が 咲くか咲かないか迷う寒さで、落語研究会の二ッ目への反応と同じだ、と。 師 匠の一朝は、礼儀に厳しく、車代をもらったあくる日、お礼を言わなかったら 怒られ、つい「施しをありがとうございました」と言ってしまったという。 そ の師匠、打上げで「シー・シェパード」の話になったら、「カンガルーを食って いる奴等には言われたくない」と言った。 浅草寺に入った賽銭泥棒、門で仁 王に踏み潰され、「プー」とやり「曲者」「におうか」の小噺が受けて、「これが ピークかもしれません」と。

 「鈴ヶ森」は、泥棒の親分が、あっしだって、まんざら「馬鹿」じゃないと いう間抜けな見習いに、追い剥ぎのやり方を伝授する噺。 泥棒の支度、顔に 髭を描けと言われて、立派なやつを描き、お前は大久保利通か、鼻の下を黒く 塗ればいいんだ。 符牒、舅(しゅうと)というのは「犬」、どちらも口うるさ い、「ドス」はドッと刺して、スッと抜くから「ドス」。 その「ドス」を「の んどけ」と言われて、「オブラートを」。 脅し文句を「口移しに教えてやる」 の、路上の「口移し」で「公安委員長」が出て来た。 聞き取れず「パードン ?」というのや、暗くて恐いから手をつないでくれといい、親分と手をつなぐ のも可笑しかった。 泥棒より本当は家で本を読んでいる方がいい、『こころ』 を読みかけていて、こんどは『三四郎』だ(この順番はヘンだが)かというあ たりに、笑いの源泉である「知の匂い」がした。 前座の持ち時間を意識した のか、唐突で、ちょっと急いだ終わりが残念だった。

志ん丸の「お茶汲み」2010/04/03 07:07

 落語研究会では、一度かけられたネタは、ある程度の期間を空けなければ再 演しないことになっているのだそうだ。 粗忽なことに、長井好弘さんが今月 のプログラムに書いていたので、ああそうなのか、と思った。 古今亭志ん丸、 二ッ目の志ん太の頃から、あまり演じられないネタに挑戦して来た。 初めの 「あくび指南」(2003.7.)はともかく、「古手買い」(2004.5.)、「権助魚」(2006.4.)、 「やかんなめ」(2008.1)と来て、2008年11月志ん丸で真打になって「きゃ いのう」をかけた。 そのどれもで私の評は、一生懸命なのはわかるとしなが らも、もう一つ芳しくなかった。

 「お茶汲み」も聴いたことのない噺だ。 吉原の妓楼に(代金)一分でと上 がった留ちゃん、初会なので上(かみ)から三枚目の女の子を選ぶ。 ひきつ けのおばさんのお茶がまずい。 上草履パターンパターンで、障子を開けた女 の子、留ちゃんの顔を見て「キャーッ」と駆け出す。 お引(し)けにしまし ょうよ、となっても留ちゃんの顔をじっと見ている。 あらためて聴いておく れでないかい、という女の話、駿府の在の生れで、好きな男が出来て、二人で 江戸へ逃げてきた。 自分が吉原に身を沈め、その金で店を始めた男が病気に なり、あの世に行ってしまった。 その男に、あんたが瓜二つなので、驚いた。  ずっと通っておくれかい、来年三月年が明ける、女房にしておくれかい。 一 つだけ心配事がある、おばあさんになった時が…心配だ、と泣く女の右頬にホ クロが出来た。 それがだんだん下へ下がる。 お茶で泣いてる、茶殻が下が ることがわかったけれど、ともかく一晩、みっちり、相手をしてもらって、お 天道様が黄色く見えた。

 留ちゃんのその話を聞いた、一遍ももてた験(ため)しのない男、吉原のそ の「セコ大福」という妓楼に一分で上り、上から三枚目、目は糸メメズのよう に細く、小さい鼻に大きな穴、馬鹿でかい口をした女、名は「青紫」を選ぶ。  まずいお茶、なまくせえ、青汁なんかじゃないの。 でも、待ってる内に、飲 めるようになっちゃった。 上草履パターンパターン、女が入ってきた途端、 男が「キャーッ」。 花魁、俺の話を聴いておくれでないかい、駿府の在の生れ なんでズラ、(中略)、年が明けたら夫婦になってくれ、と泣くと、「待ってなよ ー、今、お茶汲んで来て上げるから」

 今回も志ん丸、奮闘努力の甲斐もなく、爆笑という訳には行かなかったのは、 まことに残念だった。 修業、修業。

昇太の「花筏」2010/04/04 09:02

 昇太は噺家になって28年になるが、芸の幅や芸の年輪というものとは関係 ない、薄っぺらな感じ、と自ら言う。 誰が悪いというのではない、静岡で一 人生きている母に、責任を押し付けるわけにもいかない。 日本人は、私、ガ ンバリましたというのが好き、高校野球が好きだ。 青森の地区予選で、104 対0というのがあったが、けしてあきらめない。 野球部は、計算が出来ない んですかね。 レギュラーが打てないのに、補欠が打てるわけがない。 高校 生がうらやましい。 高校生の汗は清々しいけれど、われわれ落語家の汗は、 身体が悪いのか、と思われる。 親も落語家になったなんてのは内緒にしてい て、近所ではサラリーマンということになっている。 たまたま一緒に寄席に 来て「お宅のセガレさんですよね」と言われ、「ちがいますよ」。 野球の選手 はきれいな奥さんをもらうけれど、女の人は何考えているんでしょうね。 野 球選手は寿命が短い、落語家は寿命が長い。 年を取ると渋みが出て来る。 実 は、しゃべり方が遅くなるだけなんだけれど。

 「花筏」は、相撲の噺。 大関の花筏が病気で、銚子の先に十日間の巡業を 約束している親方が困って、花筏そっくりの提灯屋に掛け合う。 相撲は取ら なくていい、四股の真似事をするだけで、酒は飲みたいだけ飲んで、食い放題、 日に一両出そう。 やりますよ、十日でなくて百日でも、となる。 網元の倅 の千鳥ヶ浜というのが、玄人相撲を負かして九日まで全勝。 病気という触れ 込みの花筏が、大酒に酔っ払って、池の鯉をくわえたまま木に登って食ったと いうので、十日目の千秋楽には千鳥ヶ浜対花筏の対戦が避けられなくなる。

 昇太、爆発とまでは行かなかったが、明るく楽しい高座ではあった。 そう いえば新潮社『波』4月号の吉川潮さんとの対談で、昇太は「理想として、う ちの師匠(柳昇)とか志ん生師匠みたいになれればいいですね。」「いきなりそ こを目指すのもどうかと思うので、とりあえずは長生きしなければいけないん です。最終的にああなればいい。」「僕は今から六十歳くらいまで、若いんだか 年寄りなんだかわからない時代が何年かありますよね。僕はその時代を、一番 大事に切り抜けなきゃいけないと思っています。」と、語っていた。

市馬の「ふだんの袴」2010/04/05 06:55

 市馬は、寄席というものが出来て二百十年、と始めた。 新宿の末広亭、浅 草の演芸ホール、池袋にある噺家連中が「寄席の歌舞伎座」と呼ぶ大事な、大 事な寄席、百席足らずだけれど、お客さんはあそこを目がけて行かなきゃあ行 けない、目がけて行っても行けない寄席。 上野には鈴本、鈴本の前の今の中 央通りを、昔は将軍様が寛永寺に御参詣になるから御成街道と言った。 将軍 様や諸大名がお通りになるから、下世話な店はない。 刀剣師、研師、弓師、 鎧師、間にはさまって道具屋。 道具屋といっても、噺に出てくるような道具 屋ではなく、もっと見識のある道具屋。 テレビの何とか鑑定団に、どの人と はいいませんが、金縁の眼鏡をかけて、鼻の下に髭のある、色変わりの羽織を 着た、どっから見ても、いかがわしい、うさんくせえような人が……。(私は「週 刊ブックレビユー」で見て知っているが、あのオジサン、なかなか見識のある 読書人だ)

 「亭主(ていし)」「御前様」 谷中まで墓参の戻りという上品なお侍、道具 屋に寄って足休め、銀無垢の煙管で煙草を吸う。 いい煙草の葉は、かざした だけで、火が来る。 ぶっそうな煙草だ。 掛軸の鶴を見事だと褒める。 落 款はないが、文晁だろう。 と、煙管の火玉が、袴の裾へ落ちた。 心配する 亭主に、「案じてくれるな、いささかふだんの袴でござる」

 その侍のかっこいいのを見ていた、うすぼんやりした奴、真似してえと、家 主に袴を借りに行く。 窮屈袋を貸せというガラッ八に、袴を使う用、祝儀不 祝儀があるのか、と家主。 祝儀不祝儀がある、うなぎ屋の二階に喧嘩の仲人 に行く、貸してやんな、折れっ釘に下がっているヤツ。 印半纏に袴を穿いて、 道具屋へ。 一点の光もない真鍮の無垢の煙管、あいにく煙草を切らしていて、 タモトクソや焼き芋の皮を詰めて、一服。 掛軸を褒め、落款はないが文晁と 聞き、うふぉうふぉ文鳥じゃなくて鶴だろう、と。 亭主も、おっしゃる通り の鶴。 と、火玉が頭のテッペンに。 親方、火玉がおつむりに落ちましたよ。  「心配ない。ふだんの頭だ。」

 パチパチパチ、ぶらぶらの棒で、ブラボー。 市馬、上々の出来だった。