GHQの書道禁止?と、熊野筆(2) ― 2012/02/18 04:34
「GHQ 書道 禁止」でネットを検索しても、芳しいものは出てこなかった。 台東区根岸の「精華堂」という筆屋さんの歴史に、「戦中の厳しさの中、全国書 道生産連盟の組合長、理事長等歴任」「戦後マッカサー(まま)の書道禁止令に対 しましても、豊道春海先生、飯島春敬先生等と共に、文部省、GHQに日参し、 書の重要性を説き書道復興運動に尽力致しました」とあった。
ほかにも「GHQによる毛筆習字禁止令」という記述があり、それはおそら く昭和20(1945)年秋以降の、神道と国家の分離、修身・歴史・地理教科書の改 訂要求などのいわゆる「民主化」指令の中で、出されたものなのだろう。 書 道習字教育の年表のようなものに、昭和21 (1946)年10月1日、書道習字教育 者全国大会開催、昭和22 (1947)年3月、教育基本法、学校教育法の新制度の 下、小学校国語教育・書くこと(書き方)硬筆のみ指導、毛筆は自由研究、中学 校国語科習字週1時間、金田心象筆『習字 一~三』文部省著作教科書として 発行(4月1日)とあった。 昭和23 (1948)年には復興し、全日本書道展(毎日書 道展)が始まったとあるが、その年、小学校に入学した私は、確か習字の塾に通 っていた。 学校で習字をやったのは、4年生くらいからだったか。
何か記述がないかと見た、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』で、天皇 陛下が12歳の時に書いた「平和國家建設 元旦 六年 明仁親王」という習 字を見つけた。 昭和21 (1946)年元旦と思われるが、「全国の子供たちが、習 字の時間にこの言葉をくりかえし書いた」とある。
以上、GHQの書道禁止令なるもの、どのくらいの期間続き、どれだけ影響 があったのか、判然としない。 それが広島県の熊野で、毛筆の需要減少から、 化粧筆への転換をもたらすほどのものだったのだろうか。 ご存知の方があれ ば、教えていただきたい。
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