福沢諭吉と明六社 ― 2012/05/28 02:03
中野目徹さんの話は、福沢諭吉(F)と明六社(M)との関わりに進む。 明 六社の時代(狭義では明治9年まで(後で触れる))は、福沢の言論活動のピ ークの時代であった。
○明治5(1872)年2月(F)『学問のすゝめ』初編刊行。
○明治6(1873)年9月1日(M)森有礼邸で会合。 10月24日・明治六 年政変(西郷隆盛・板垣退助・江藤新平ら下野)。
○明治7(1874)年1月17日・民撰議院設立建白書(『明六雑誌』の論争の テーマ)。 1月(F)『学問のすゝめ』第四編→学者職分論争。 2月6日・台 湾出兵決定。 2月16日(M)明六社社則決定。 2月(F)慶應義塾から『民 間雑誌』創刊。 3月(M)『明六雑誌』創刊。 6月27日(F)三田演説会発 会(演説館の開館は翌年5月1日)。
○明治8(1875)年2月6日(F)森有礼と常が契約結婚、福沢が証人に。 4月14日・漸次立憲政体の詔(自由民権運動盛り上がる)。 6月28日・讒謗 律・新聞紙条例公布。 8月(F)『文明論之概略』刊行。 9月(F)「明六雑 誌ノ出版ヲ止メルノ議案」。 11月14日(M)『明六雑誌』第43号(終刊)。
○明治9(1876)年2月1日(M)会合における演説会の最後(福沢出席)。
福沢の演説と論説は、次の三本だけ。 「征台和議ノ演説」(明治7(1874) 年11月16日)→『明六雑誌』第21号。 「内地旅行西先生ノ説ヲ駁ス」(『明 六雑誌』第26号)。 「男女同数論」(『明六雑誌』第31号)…一夫一婦制が いい。
福沢は、前年から言い出し、上に見た明治8年9月「明六雑誌ノ出版ヲ止メ ルノ議案」で『明六雑誌』の停刊を提議し、11月14日に終刊した。(この「議 案」については、また明日。)
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