「銀ブラ」、思い出せない喫茶店の名2012/07/20 02:33

 「銀ブラ」というのは、銀座をブラブラ歩くことでなく、元々は銀座にブラ ジルコーヒーを飲みに行くことだといわれる。 8丁目の長崎センタービルの 1階に今もあるカフェーパウリスタは、明治44(1911)年12 月12日に水野 龍という人が開業したそうだから、100年の歴史を誇ることになる。 水上瀧 太郎、吉井勇、菊池寛、佐藤春夫などが常連だった。 「銀ブラとは、銀座通 りを歩いてカフェーパウリスタにブラジルコーヒーを飲みに行くこと」だとし て、「銀ブラ証明書」が置いてあるという。

 「ブラジルコーヒー」という呼称が一般的だったらしく、永井荷風の『断腸 亭日乗』の昭和7(1932)年9月11日の項に、「西銀座なるブラヂル珈琲店万 茶亭に至り、路傍の樹下に椅子持出で珈琲啜りて四方山のはなしに夜のふくる を忘るるなり」とある。

 パウリスタが「サンパウロの人」のことだというのは知っていた。 『広辞 苑』には、「【paulista(ポルトガル)】(「サンパウロの人」の意)特にラジルコ ーヒーを客に供する喫茶店。カフェの名称としても使う。」とある。

 喫茶店の名前を度忘れして、思い出せないのがあった。 5丁目の裏通りだ った。 学校を出てすぐに配属された銀行の銀座支店で、毎日集金に行ってい た。 1964(昭和39)年、東京オリンピックの年だ。 小銭の釣銭を用意す るのだが、支店の出納係では間に合わない時もあり、パチンコ屋さんを得意先 にしている先輩に回してもらったりしていた。 パウリスタと同じく、ある都 市の「○○の人」という意味だったと思うのだが、以来50年近くを経て、そ の名前がどうしても出て来ない。

 銀座百店会発行の『銀座百点』7月号をパラパラやっていて、ある広告に目 が止まった。 「西洋料理 南蛮 銀圓亭」「銀座・並木通り5丁目」「カリオカ ビル7F」。 「そうだ、カリオカさんだ!」と叫ぶ。 場所も同じだろう、CELINE の入っているビルだ。 ホームページを見ると、6 Fで「南蛮 1934」というバ ー、レストランをやっていて、横浜の相鉄駅構内にはカフェもある。

 「カリオカ」cariocaは、ブラジル、リオデジャネイロの住民、出身者をさ す言葉。 トゥピ・グアラニー族の方言で「白人の家」、cariは白人 ocaは家 だという。 サッカーのラモス瑠偉の愛称でもあり、ラモスは「レストランテ  カリオカ」というブラジル料理の店を神宮外苑でやっているそうだ。  箸も出す、シンプルで気取らない雰囲気、日本の「洋食」という「西洋料理 南 蛮 銀圓亭」へ、一度行ってみたいと思っている。

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