冨田勝さんのこと2015/06/24 06:34

 冨田勝さんは1957(昭和32)年生れ、慶應義塾幼稚舎、普通部、高校から 工学部数理工学科に進む。 「スペース・インベーダー」ゲームから、コンピ ューターに興味を持ち、学生時代にパソコンで漢字出力できる世界初のシステ ムを開発した。 1981年の卒業後、カーネギーメロン大学に進み、ノーベル経 済学賞受賞者ハーバート・サイモンの指導を受け、人工知能や機械学習を研究 し、自動翻訳研究所副所長やコンピューター科学部准教授を務めた。 1990 年、相磯秀夫前慶應義塾大学環境情報学部長から新キャンパスへの誘いを受け 帰国、湘南藤沢キャンパス(SFC)の教員となった。

 この頃から、コンピューター科学者が何年かけても実現できないような高度 な知能システムを、たった一つの細胞から作り出してしまう「生命のメカニズ ム」に興味を持ち始め、1994年教員の立場でありながら慶應義塾大学院医学研 究科博士課程に入学し、清水信義教授の指導を受け、医学博士を取得した。 (清 水信義さんは5日73歳で亡くなった。訃報に「人体の設計図ともいえるヒト ゲノム(全遺伝情報)の読みとりを進める国際研究グループのメンバーとして、 22番、21番、8番染色体の解読に貢献した」とあった。)

 冨田勝さんは1997年、細胞の系全体としての振る舞いを解析するための汎 用細胞シミュレーションソフトウェア「E-Cell」を発表、「細胞シミュレーシ ョンのパイオニア的研究」として高く評価される。 その流れの中で、2001 年「IT主導のバイオサイエンス」という理念を掲げ、細胞シミュレーションを 主軸とした大規模な生物実験施設を擁する慶應義塾大学先端生命科学研究所の 創設に携わり、所長に就任した。

先端生命科学研究所の所長を引き受ける時、結果責任は取るので、好きなよ うにやらせてくれ、と言ったそうだ。 鶴岡というサイエンスにもってこいの 場所で、鶴岡にしかない世界をリードする研究をし、世界一を目指すバイオの 先進都市をつくろうと考えた。

高等教育に対して独自の理念を持っている。 幼稚舎から慶應義塾で育った、 そうでなければ、今の自分はない。 問題は大学受験にある。 5教科7科目 の受験は、研究者に向かない。 大人が、子供の可能性の足を引っ張っている。  9割は、一般入試の一発テストで選ばれた、言われたことをきちんとやる人で もいいけれど…。 自分が好きなことを、がっちり持っている人を、歓迎する ようなシステム、SFCのAO入試制度は重要。 入社試験と同じで、今まで何 をやってきて、何をやりたいかが問題だ。 ユニークで、面白い人が多い。 試 験のための勉強は、終ると忘れる。 興味のあるものを勉強すれば、身に付く。

「学生に早い段階で先端研究に触れてもらうことは、基礎知識、基礎技術習 得のモチベーションを上げ、高い教育効果がある」という考えから、大学の研 究室に学部1年生から所属することを推奨し、先端生命科学研究所でも実施し ているし、鶴岡市の各高校から高校生の研究助手、特別研究生を受け入れてい る。 慶應義塾の「半学半教」の精神を、実践しているのだ。