「夏潮」渋谷句会100回記念の会2016/06/16 06:31

 6月9日の夜は、「夏潮」渋谷句会100回記念の会を元祖「鴨せいろ」の銀座
長寿庵で開催した。 実は50回記念の会も、慶應志木高校の25年後輩である
この天野徳雄さんのお店で開かせてもらい、料理の美味しいのに味を占めてい
たのだ。 この日が100回になると計算して、1月に予約しておいたのだが、
あとで今までの兼題の一覧表をつくったら、101回だと判明したという笑い話
もあった。

 主宰の本井英先生は不本意でいらっしゃったかも知れないが、宴会を主にし
て、句会をこんな形にした。 あらかじめ「風薫る」と「若竹」の兼題で投句
してもらい、それを主宰に選句して頂き、当日発表することにした。 普段は
やらない、天、地、人と、特も選んで頂いた。 英先生は、賞品として各賞に
小型色紙に御句を書いて下さった。 そればかりでなく、当日の不在投句を含
めて、十七名全員各々に色紙を用意して下さっていたのである。

 本井英先生は挨拶で、『夏潮』の4月号から連載中の鈴木孝夫慶應義塾大学
名誉教授との対談「日本と西洋」に関連して、次のような話をなさった。 日
本は明治維新で西欧文明を取り入れて、西洋流の大国になったけれど、一方で
非西洋的な本来の感性を持ち続けている。 古代的、日本的な要素が西洋的な
原理に代われば、世界の危機は回避できるとまでは言えないにしても、遅らせ
ることができる。 高浜虚子先生は、昭和11(1936)年の渡欧を着物で通され、
西欧の文化を吸収しようという態度はなかった。 西洋が人類文化の頂点、最
先端ではなくて、日本だけの基準があるはずだ。 それは個性やオリジナルに
縛られる西洋の基準よりも、幅広いものだ。 折口信夫が言った無内容だけれ
ども、心地よいものというのが、『夏潮』の「羅針盤」であり、虚子先生最晩年
の弟子たち、湯浅桃邑、清崎敏郎、深見けん二といった方々の俳句が「海図」
になるだろう。 目を見開いて、前へ進もう、と。

 天、地、人、以下(順不同)の主宰選は、つぎの通り。
【天】若竹は心地良からむ皮裂く時  和子
若竹の傾き少しづつ違ふ
ぐんと弧を描きて今年竹であり
薫風や楠は総身を輝かせ
【地】源流の青嶺はるかに風薫る   裕子
積み古りし落葉より出で今年竹
脱ぎきれぬ皮を残して今年竹
【人】ジーンズも似合ふ休日風薫る  明雀
若竹のはち切れてなほ太くなり
今年竹虚空目掛けて並び立つ
今年竹雨の篁明るうす        なな
風薫る広前子ども泣き相撲
薫風や子ども歌舞伎の声高く
薫風や風紀委員が校門に       ひろし
薫風や老人バンド木蔭より   
風かほる鰻屋の旗風のなか      やすし
カーレ屋を出て銀座歩めば風かほる
薫風をありつたけ浴び結婚す     幸雄
昼酒の小上り抜けて風薫る
薫風や若冲展の列につき       さえ
薫風のオープンカフェ丸の内
風薫る青岸渡寺の青畳        盛夫
若竹の穂のまちまちに寺の塀
若竹や緑の色のすでに濃し      耕一
トロッコの錆の赤きや風薫る
風薫る飛び立つ鳩を追ふ子ども    淳子
皮脱ぎて日毎空へと今年竹
ギャロップの靡くたてがみ風薫る   真智子
風薫る農業学校直売所
薫風や家族一列自転車に       伸子
若竹の皮纏ふもの脱ぎしもの
若竹の今朝は無風にありにけり    由美子
風薫る天守台よりみはるかす
数寄屋橋に切子ビル建ち風薫る    けん詩
また此処に画廊見つけて風薫る
梅田地下あちらこちらで若竹煮    善兵衛
園内を走る汽車にも風薫る
若竹や雨の色濃き嵯峨の里      正枝
若竹や読経始むる山の坊
【特】薫風や句会重ねて百回目    紘二
若竹や長い脚の娘颯々と