「天皇制」という言葉、ドーク教授の本2016/06/23 06:20

 渡辺利夫さんの「歴史認識問題―何が「問題」なのか」を聴いた情報交流会 に、ゲストとして日本語がペラペラのアメリカ人がいらっしゃった。 ケビン・ M・ドークさん、ジョージタウン大学教授、日本の近代思想を中心に、広く近 代日本史を教えている。 1960年イリノイ州の生れ、17歳の高校生の時、日 本語は一時間ひらがなのレッスンを受けただけで、交換留学で長野県上田市の 上田東高校にやって来た。 ホームステイして一年、柔道をやったり、学生服 を着て奈良・京都への修学旅行に参加したりした。 日本の大学に進みたかっ たが、父親が反対、帰国して日本の大学に戻る機会を探すため、イリノイ州の クインシー・カレッジに入り日本研究を選択、シカゴ大学の大学院に進む。 18 歳で帰国してから8年、25歳の時、フルブライト奨学金を得て日本留学が実現 した。 立教大学、東京大学、甲南大学などで日本近代史やナショナリズムを 研究、1989年シカゴ大学大学院で博士号を取得した。

 くわしく書けるのは、著書の『日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日 本』(ワック)という新書判の本を頂いてきたからだ。 帯の惹句は、「世界が 「思いやり」と「おもてなし」の日本文化に気付き始めた!」、「カトリック信 者の私が、なぜ、靖国神社を参拝するのか?」、「日本人の「日常的な美意識」 は凄い!」○真実より気持ちが大事な日本人、○天皇を尊敬したカトリック信 者、○日本人の道徳を意識して伝えなければならない時代、○近代国家のなか で日本は最も寛容な国だ、○思いやりがわかれば、日本がわかる。

 私が驚いたのは、「天皇制」という言葉についての記述だった。 ドークさん は、「私の勘違いでなければ、「天皇制」は二十世紀の言葉です」と言い、1922 (大正11)年に日本共産党が結成されたあとで、共産主義者が「君主制度」を 「天皇制」に代えた、皇室に敵対する表現としてつくりあげたのではないかと 思う、とする。 色川大吉のような歴史家のなかで全体主義的な制度として解 釈された「天皇制」を、共産主義と反対側にいる人たちまでそのまま使ってい るのはおかしなことだ。 明治時代の第一次史料を見ると、「天皇制」という言 葉は目にせず、「君主制度」という言葉で語られている。 ドークさんは、そう 説明し、普通の「君主制度」「皇室」という言葉のほうが適切だと思うと言う。

 外国人であるドークさんは、日本の神道や皇室を理解する入り口として、カ トリック教会のローマ教皇とよく似ていることを挙げて、考えていく。 (1) 皇室と教皇が主に宗教的な制度だが、時代によっては政治的な意味合いを持っ たこと。 (2)系統史の共通点(いつ始まったかが曖昧)。 (3)ほとんど 同時代に分裂したこと(カトリック教会の分裂、南北朝の分裂)。 (4)現代 の非政治化。