ニュース映画というものがあった2020/06/22 06:51

 タンク(戦車)が轟音とともに、客席で観ている私たちの方に迫ってきて、 目をつぶる。 タンクは頭の上を越していく。 物心ついて最初の映画の記憶 は、ニュース映画の、そんな恐ろしい場面だった。 中延の家から、第二京浜 国道を五反田方面、戸越銀座の方へ行くと、ロータリーがあって交番があった。  家と、そのロータリーの中間の右角に、映画館があった。 名前は憶えていな い。 そこで観たのだ。 戦争中のニュース映画だったのだろう。 とすると、 太平洋戦争が始まる年の4月に生まれた私は、昭和20年5月24日夜の空襲の 記憶が、最初の記憶だと思って書いてきたのを、訂正しなければならない。

 以前は、一般の映画作品の上映前に、ニュース映画が2、3本上映された。  日本のニュース映画と、外国のニュース映画。 今は、おびただしい数の騒が しい予告編とCMが15分以上も流れて、毎度閉口する。 ニュース映画、タ イトルバックの緊迫の音楽に、独特な早口のアナウンス、なかなかいいもので、 私は好きだった。 スケートリンクのレーンで、丸い石を投げて滑らせ、箒の ようなもので掃く、滑稽で不思議な競技のあることも、たびたび観た。 カー リングというものだと知ったのは、ずっと後のことである。

 最近どこかで、ニュース映画が上映されるようになったのは、戦前の国策宣 伝のためであったというのを、読んでなるほどと思ったのだが、どこだったか。  タンク(戦車)が轟音とともに、迫ってきたのは、そんなニュース映画だった のだろう。 ウィキペディアの「ニュース映画」には、1941(昭和16)年以 降、終戦までの情報統制で、自由な製作はできなくなり、全国の映画館で上映 が義務付けられていた。 また皇室、戦争・皇軍に関連したもの、国外ニュー スの一部については陸軍省・海軍省の厳格な審査・検閲が必要で、「陸軍省(海 軍省)検閲済」の字幕が表示された。 それ以前1934(昭和9)年頃から、ト ーキーの発達に伴い新聞社を主体にニュース映画の製作が活発になっていたが、 皇室、大日本帝国国軍関連のニュースについては、必ず冒頭に取り上げられた。  それらのニュースでは、敬意を表するために、画面右端に「脱帽」の大きな縦 書きの文字が入った、とある。