山岡鉄舟と銀座木村家の「あんぱん」2020/12/12 06:58

 山岡鉄舟(1836(天保7)年~1888(明治21)年)は、江戸生まれの幕臣、無刀流を創始した剣術の達人、禅を修行、書をよくした。 戊辰戦争の際、西郷隆盛を説き、勝海舟との会談を成立させた。 三田あるこう会で当番の市川さんから、三遊亭圓朝(1839(天保10)年~1900(明治33)年)とともに、福沢諭吉(1835(天保5)年~1901(明治34)年)とほぼ同年代の人という説明があった。 明治も20年代になると、いわゆる「天保の老人」である。

山岡鉄舟は銀座木村家の「あんぱん」を好んだという。 銀座木村家のパンフレットによると、初代の木村安兵衛が、明治2(1869)年、日本で初めてのパン屋を芝日陰町で開業し、翌年銀座に移転、「あんぱん」は明治7(1874)年に木村安兵衛親子によって誕生した。 米と麹を熟成させた酒種酵母菌を使って、独自の製法で発酵させた生地に、厳選した餡を包み仕上げた。 明治8(1875)年、「あんぱん」は、当時の侍従山岡鉄舟の推挙で、明治天皇に献上された。 この時、従来のケシに代えて、慶事に用いられる八重桜の塩漬けを、パンの中心、へそにのせたのが「桜あんぱん」のはじまりという。

(なお「日本で初めてのパン屋」についてだが、横浜の、中区日本大通5に「近代パン発祥の地」記念碑がある。 開港の翌年1860(安政7、万延元)年、フランス人にパンの製法を習った内海兵吉が「富田屋」をここで開業したとして、2016年に建てられた。 食パン(イギリス風山型及び角型)の元祖は、横浜のウチキパンの元となった英人クラークが1862(文久2)年に開業したヨコハマベーカリーで、宇千喜商店を経て現在のウチキパンとなったそうだ。)

 全生庵で、この話題が出たとき、木村家の「あんぱん」は、銀座本店の「餡」は国産あずきを使っているので、銀座本店のが美味しいという人がいた。 銀座木村家のパンフレットには、酒種あんぱん「4つのこだわり」の三、小豆に「厳選した国産あずき…小豆は北海道の十勝周辺で採れた厳選した小豆を使用し、銀座木村家独特の豆煮の方法で炊き上げられたあんは独特の小豆の風味とコクがあります」とある。 こういうのを、「豆知識」というのだろう。