三遊亭兼好の「陸奥間違い」後半 ― 2024/05/02 07:04
権助は遅いな、田舎者で道に迷ったんだろう。 只今、戻りました。 なんだ千鳥足で。 御馳走してもらいました、女中方がズラーーッと居並ぶ大広間で。 すごい御馳走だったんで、お弁当をもらって来ました。 アッ、漆の重箱に「竹に雀」の紋がある、これは伊達様だ、馬鹿ッ! 正式の使者は、後程いらっしゃるそうで。 誰に聞いた? 使者請の渡辺次郎左衛門様で。
話を聞いているところに使者が来たが、六畳一間、使者の間はない。 殿よりお下げ渡しの金三千両です。 これは、間違いで。 松野陸奥守と、松平陸奥守を間違えました。 お返しいたします。 それはいかん、手紙に男の中の男と見込んで、とあったので、殿がお下げ渡しになられた、この金を受け取らなければ、腹を切らねばならぬ。
隣の森川伊豆守なら物に長けておるので、聞けば、どうしたらよいか分かるかもしれません。 権助、すぐに聞いて参れ。 森川伊豆守は、お城におる、と。 伊豆守様に伺いたくて参りました、三千両を受け取るか、返すか、男が生きるか、死ぬか。 伊豆守…、まさか知恵伊豆様で。 松平伊豆守、日本一の知恵者、明暦の大火の折にも、大奥の女性たちを畳をひっくり返して、みな無事に逃がした。 知恵伊豆は、話を聞いて、上様に伺ってみようと言う。 四代将軍、徳川家綱、何事も「そうせい」、「そうせい」と、丸く収めるので、「そうせい公」と呼ばれている。 上様から、伊達様に褒美を取らせることになった。
権助、只今帰って参りました。 松平伊豆守、やさしい人でした。 上様が、伊達は外様、内輪でもらっておけ、「そうせい」とおっしゃったそうで。 「陸奥守」がいくつもあるのが間違いのもとだ、伊達様のご褒美は、「陸奥守」は伊達の一家にするということであった。 外様の伊達家にとって、こんな名誉なことはない。 大名を十五名集めて、大宴会を催し、その末席に穴山小左衛門と権助も呼ばれた。 この大広間の宴会、権助は、俺二回目で、間違いをすりゃあ、また、と言う。
貧乏な小役人の穴山小左衛門と、六十二万石の大大名が兄弟分になる、お目出度いお噺で。
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