苅部直さんから、ブログにコメントを頂いた話 ― 2024/11/05 06:57
苅部直さんは、日本政治思想史専攻だから、福沢諭吉の研究があって、福澤諭吉協会総会や福澤先生誕生記念会で記念講演を聴いたことがあった。 それを当日記に「難解で、まったく歯がたたなかった」と書いて、実は苅部直さんご自身から、コメントを頂いたことがあった。 まず、その講演を日記に綴ったものをリストして、最後にコメント一件に関係分を、再録しておく。
苅部直東大教授の講演<小人閑居日記 2011.5.25.>
苅部直東大法学部教授の講演の前に<小人閑居日記 2015.1.15.>
福沢先生、苦心の翻訳語の意義<小人閑居日記 2015.1.16.>
「福澤語」の「怨望」と社交、自由・寛容<小人閑居日記 2015.1.17.>
「福澤語」の「公徳」と多事争論<小人閑居日記 2015.1.18.>
苅部直東大教授の講演<小人閑居日記 2011.5.25.>
21日(土)は、福澤諭吉協会の総会と記念講演会があった。 講師は苅部直(かるべ・ただし)さんで、演題は「福澤諭吉における「公徳」―『文明論之概略』ななめよみ」だった。 案内文の苅部さんの肩書は「東京大学大学院法学政治学研究科教授」、次回9月17日の土曜セミナーの予告にあるロバート・キャンベルさんのそれは「東京大学大学院総合文化研究科教授」になっている。 司会の寺崎修常務理事が、当然、そのように紹介すると、苅部さんは異論をはさんだ。 東京大学大学院という団体はない(?)、それぞれの大学院研究科教授は、学部の教授を兼任している。 自分は研究者を養成することよりも、大学に入って来た学生を一人前の人間に教育することを、大学の教員の役割と思っているので、東大教授、法学部教授をメインに名乗っている、と。
苅部さんの講演、レジメも、参考文献からのコピーもきちんとしたものを頂いて聴いているのに、難解で、まったく歯がたたなかった。 実をいうと、頭が痛くなった。 くやしいから、講演の筋道の題目だけ挙げておく。
1. “非道徳家”福澤のイメージ
2. 第6章「智徳の弁」をどう読むか
3. 造語家・福澤―「本位」「公徳」
4. 『文明論之概略』(1875年8月)の構成 : 8章以降の主題としての「公徳」
5. 国教問題の影
6. 「怨望」と「堪忍」: 福澤のリベラリズム
16日、福澤先生ウェーランド経済書講述記念日の小室正紀さんの講演「福澤諭吉の経済論」の明快さとは、大違いだった。 東大、恐るべし。 八代目桂文楽が落語研究会の「大仏餅」で、台詞に詰まって言った「勉強し直して参ります」を、つぶやきながら、交詢社を後にした。
苅部直東大法学部教授の講演の前に<小人閑居日記 2015.1.15.>
第180回福澤先生誕生記念会、記念講演は東京大学法学部教授の苅部直(かるべ・ただし)さんだった。 前の席にいた福澤諭吉協会会員で、このブログを読んでくれている黒田康敬さんが、振り向いて「馬場さんの天敵ですね」と言う。 脱線するが、その話から始めたい。 2011年5月21日、福澤諭吉協会総会の記念講演で、苅部直さんの「福澤諭吉における「公徳」―『文明論之概略』ななめよみ」を聴いた。 私は5月25日のこの日記に「苅部直東大教授の講演」と題して、こう書いた。 「苅部さんの講演、レジメも、参考文献からのコピーもきちんとしたものを頂いて聴いているのに、難解で、まったく歯がたたなかった。 実をいうと、頭が痛くなった。 くやしいから、講演の筋道の題目だけ挙げておく。」「東大、恐るべし。 八代目桂文楽が落語研究会の「大仏餅」で、台詞に詰まって言った「勉強し直して参ります」を、つぶやきながら、交詢社を後にした。」
すると、驚くべきことに、6月15日に苅部直さんご自身から、コメントを頂いた。 「苅部直です。5月25日の記事、拝見しました。どうも難解ですみません! 寺崎先生、松沢先生、井田先生、小室先生など福澤研究の大家の前でお話しするということで緊張し、情報過多の講演になってしまったと反省しています。『福澤諭吉年鑑』に載せるときは、もっと柔らかくしますので、ごらんいただけると幸いです。」
私は驚いて、こう返していた。 「ワ゛――ッ!! 苅部直先生、直々のコメント、ありがとうございます。 かなり老耄が進んでおりますので、理解できなかったのかもしれません。 福沢流に「山出の下女をして障子越に聞かしむるように」、「猿に見せる積りで書け」というように、お願いできれば、と存じます。」
福澤先生誕生記念会の記念講演は、「「福澤語」入門――「公徳」と「怨望」」だった。 苅部直さんは、不幸なことに自分は慶應の出身ではないが、こうした華やかな催しで話させてもらうのは光栄だと始めた。 慶應で日本政治思想史の非常勤講師を務めているので、先ほどの清家塾長の「半学半教」の話に納得がいく。 学校からの書類に苅部君と書いてある。 その精神は理解できるが、人情はついていかない。 学生の答案に、教師の名を書く欄があって、「苅部君」と書いてあるのがあった。 講評に「むかつく」と書いたが、先ほどの塾長のお話を聞いて、「私もマダマダだ」と思った。 学生を教えていて、同時に学生に教えられているという、福沢先生の精神に思いをいたさなければならない。 だが、人間の習慣は抜きがたい。 今日の話は「福沢先生」でさせていただくが、時に「福沢」と言ってしまうかもしれない。
苅部直東大教授の講演<小人閑居日記 2011.5.25.>
苅部直東大法学部教授の講演の前に<小人閑居日記 2015.1.15.>
福沢先生、苦心の翻訳語の意義<小人閑居日記 2015.1.16.>
「福澤語」の「怨望」と社交、自由・寛容<小人閑居日記 2015.1.17.>
「福澤語」の「公徳」と多事争論<小人閑居日記 2015.1.18.>
苅部直東大教授の講演<小人閑居日記 2011.5.25.>
21日(土)は、福澤諭吉協会の総会と記念講演会があった。 講師は苅部直(かるべ・ただし)さんで、演題は「福澤諭吉における「公徳」―『文明論之概略』ななめよみ」だった。 案内文の苅部さんの肩書は「東京大学大学院法学政治学研究科教授」、次回9月17日の土曜セミナーの予告にあるロバート・キャンベルさんのそれは「東京大学大学院総合文化研究科教授」になっている。 司会の寺崎修常務理事が、当然、そのように紹介すると、苅部さんは異論をはさんだ。 東京大学大学院という団体はない(?)、それぞれの大学院研究科教授は、学部の教授を兼任している。 自分は研究者を養成することよりも、大学に入って来た学生を一人前の人間に教育することを、大学の教員の役割と思っているので、東大教授、法学部教授をメインに名乗っている、と。
苅部さんの講演、レジメも、参考文献からのコピーもきちんとしたものを頂いて聴いているのに、難解で、まったく歯がたたなかった。 実をいうと、頭が痛くなった。 くやしいから、講演の筋道の題目だけ挙げておく。
1. “非道徳家”福澤のイメージ
2. 第6章「智徳の弁」をどう読むか
3. 造語家・福澤―「本位」「公徳」
4. 『文明論之概略』(1875年8月)の構成 : 8章以降の主題としての「公徳」
5. 国教問題の影
6. 「怨望」と「堪忍」: 福澤のリベラリズム
16日、福澤先生ウェーランド経済書講述記念日の小室正紀さんの講演「福澤諭吉の経済論」の明快さとは、大違いだった。 東大、恐るべし。 八代目桂文楽が落語研究会の「大仏餅」で、台詞に詰まって言った「勉強し直して参ります」を、つぶやきながら、交詢社を後にした。
苅部直東大法学部教授の講演の前に<小人閑居日記 2015.1.15.>
第180回福澤先生誕生記念会、記念講演は東京大学法学部教授の苅部直(かるべ・ただし)さんだった。 前の席にいた福澤諭吉協会会員で、このブログを読んでくれている黒田康敬さんが、振り向いて「馬場さんの天敵ですね」と言う。 脱線するが、その話から始めたい。 2011年5月21日、福澤諭吉協会総会の記念講演で、苅部直さんの「福澤諭吉における「公徳」―『文明論之概略』ななめよみ」を聴いた。 私は5月25日のこの日記に「苅部直東大教授の講演」と題して、こう書いた。 「苅部さんの講演、レジメも、参考文献からのコピーもきちんとしたものを頂いて聴いているのに、難解で、まったく歯がたたなかった。 実をいうと、頭が痛くなった。 くやしいから、講演の筋道の題目だけ挙げておく。」「東大、恐るべし。 八代目桂文楽が落語研究会の「大仏餅」で、台詞に詰まって言った「勉強し直して参ります」を、つぶやきながら、交詢社を後にした。」
すると、驚くべきことに、6月15日に苅部直さんご自身から、コメントを頂いた。 「苅部直です。5月25日の記事、拝見しました。どうも難解ですみません! 寺崎先生、松沢先生、井田先生、小室先生など福澤研究の大家の前でお話しするということで緊張し、情報過多の講演になってしまったと反省しています。『福澤諭吉年鑑』に載せるときは、もっと柔らかくしますので、ごらんいただけると幸いです。」
私は驚いて、こう返していた。 「ワ゛――ッ!! 苅部直先生、直々のコメント、ありがとうございます。 かなり老耄が進んでおりますので、理解できなかったのかもしれません。 福沢流に「山出の下女をして障子越に聞かしむるように」、「猿に見せる積りで書け」というように、お願いできれば、と存じます。」
福澤先生誕生記念会の記念講演は、「「福澤語」入門――「公徳」と「怨望」」だった。 苅部直さんは、不幸なことに自分は慶應の出身ではないが、こうした華やかな催しで話させてもらうのは光栄だと始めた。 慶應で日本政治思想史の非常勤講師を務めているので、先ほどの清家塾長の「半学半教」の話に納得がいく。 学校からの書類に苅部君と書いてある。 その精神は理解できるが、人情はついていかない。 学生の答案に、教師の名を書く欄があって、「苅部君」と書いてあるのがあった。 講評に「むかつく」と書いたが、先ほどの塾長のお話を聞いて、「私もマダマダだ」と思った。 学生を教えていて、同時に学生に教えられているという、福沢先生の精神に思いをいたさなければならない。 だが、人間の習慣は抜きがたい。 今日の話は「福沢先生」でさせていただくが、時に「福沢」と言ってしまうかもしれない。
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