林家正蔵の「藁人形」前半2024/06/30 07:32

 糠(ぬか)、昔はいろいろ需要があって、ご婦人が糠袋で身体を洗ったり、落雁の半分になったりした。 神田竜閑町に、遠州屋という大きな糠屋があって、おくまという一人娘がいた。 そのおくまに男ができて、上方に逐電した。 ところが、その男が流行り病でポックリ逝った。 江戸に帰ってみると、両親(ふたおや)は亡くなり、店も人手に渡っていた。 仕方なく、千住小塚ッ原の若松屋という女郎屋に身を沈めた。 器量が良くて、育ちも良い、たちまち売れっ子になって、客もついた。 赤いもの尽くしの部屋に、白木の位牌が二つ、千住の河原から来る西念という願人坊主が、時折、経をあげてくれる。 お経料を渡すのだが、その西念が死んだお父っつあんに瓜二つなので、親孝行の万分の一、という気持になる。

 三日ばかりしてやって来た西念が、花魁、今日は晴れ晴れとしたお顔をなさってますが、何かいいことがありましたか、と言う。 実は、上方から来る旦那に身請けされることになってね、駒形にある絵草子屋を居抜きで買ってくれることになって、四十両の半金を払ってくれた。 堅気になったら、女一人だし留守番も必要なんで、千住の河原から来る西念さんは、死んだ親父と瓜二つ、家に置いておきたい、親孝行の真似事をしたい、と頼んだら旦那も承知してくれたのよ。

 三日して西念が来ると、おくまが酒をガブガブ飲んでいる。 世の中、神も仏もない、上方の旦那が、上方へ帰ったら、昨夜、若いもんが来て、絵草子屋の後金(あときん)の二十両、払ってもらいたいって、言って来た。 西念さん、あの話、駄目になっちゃった。 荒れるのも無理はない、後金二十両払えば、絵草子屋、こっちのものになるんですか?  その二十両、西念にご用立てさせてくれませんかね。 西念さん、二十両持ってるの? 持ってるんでございます。 あっしは若い時分、神田佐久間町の「か組」の嘉吉っていう纏(まとい)持ちで、人を殴り殺してしまったんです。 回状回してくれて、花会をやって、手元に二十両なにがしかが残った。 二十両は甕(かめ)に入れ、縁の下に埋めて隠した。 お役に立てて下さい。

 夜晩く、四つの鐘が打ちあがると、畳を上げ、甕を掘り起こして、二十両手拭に包んで、届ける。 手が真っ黒だ、手を出しなよ、拭いてやる。 酒の仕度がしてあるんだ、私のお酌で一杯やって頂戴、祝い酒だよ。 いいお酒だ、刺身、酢の物、焼き魚、美味しい、美味しい。 少し酔ったんで、おいとまします。 今日は泊まっていっておくれよ。 その晩、西念は、赤い蒲団で泊った。

小人閑居日記 2024年6月 INDEX2024/06/30 08:01

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