三越の包装紙とショッピングバッグ ― 2025/06/10 07:01
朝ドラ『あんぱん』のモデル、やなせたかしさんが、三越の包装紙の制作にかかわったと聞いて、友禅の人間国宝、森口邦彦さんが朝日新聞の「語る 人生の贈りもの」で三越の包装紙について語っていたのを思い出した。 私はそれを読んだ時、白地に赤い抽象形を散らした包装紙を思い浮かべたのだったが、結論を先に言えば、森口邦彦さんが描いたのは、矢形の灰色と四角い赤の幾何学文様で、たわわに実るリンゴを表現したというショッピングバッグの方だったのであった。
梯久美子さんの『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)によると、柳瀬嵩さんは、1947(昭和22)年に日本橋三越で開かれた戦後第一回の日本広告展に応募した三点が入選し、一点はデパートの部の部会賞をもらった。 三越はちょうど宣伝部員を募集していたので、試験を受けて合格、10月から働くことになった。
宣伝部では、三越劇場で上演される文学座のポスターを制作したりしていたが、三越で手がけた仕事のうち、現在まで使われているのが、白地に赤の抽象形を散らした包装紙だった。 デザインは、洋画界の花形だった猪熊弦一郎に依頼した。 締切りの日に田園調布の自宅まで受け取りに行って、手渡されたのは、赤い紙を切って白い紙の上に置き、テープで仮留めしたシンプルな原画だった。 巻くことができないので広げたまま、おしいただくように捧げ持ってタクシーで社に戻った。 「MITSUKOSHIという字はそっちで書いてね。場所は指定してあるから」と猪熊に言われたので、文字の部分は嵩さんが書いた。 こうして、それまで日本の百貨店にはなかったモダンで斬新な包装紙ができあがった。
三越は、この包装紙を「華ひらく」1950年 猪熊弦一郎、ショッピングバッグを「実り」2014年森口邦彦、と名付けている。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。