おしゃべりな銀座<等々力短信 第1206号 2026(令和8).8.25.> ― 2026/08/25 07:07

 『銀座百点』8月号に「わたしの銀座」を書かせてもらった。 巻末近く、読者の小コラムである。 「昭和16年生まれ、最初の銀座は、尾張町交差点のMPの交通整理、服部時計店や銀座松屋はPX」と、始めた。 あとで、「尾張町」が銀座四丁目だとわからないかと、思った。 「昭和39年4月、銀行に就職。」 東京オリンピック、東海道新幹線開業の年だ。 電通通りの日軽金ビル内の支店に配属され、銀座の表裏を集金鞄をさげて歩き回った。 この年の夏、みゆき通りに「みゆき族」が出現した。

 「わたしの銀座」を読んだある人は、「馬場さんは、夜の銀座は歩き回らなかったんでしょうね」といい、銀座勤めの数年後輩は「当時VANの紙袋を抱えて、みゆき通りを徘徊していました(笑)」と。 その支店は、新橋見番と取引があり、芸者さんの給料日(「花代」?)に手渡す役は、新人はさせてもらえなかった。 事務の人は、学卒の集金人をつかまえて、「吉行淳之介の「砂の上の植物群」を読んだか」と聞いた。

文春文庫の銀座百点編『おしゃべりな銀座』に、小説家の金井美恵子の「奇妙な思い出」(2011年4月号)がある。 32年前、吉行淳之介が「今度小説集を出したら、泉鏡花賞をやるよ」と言い、本気にしなかったら、受賞した。 吉行に会うと、女たちは心底うれしそうな晴れ晴れとした表情を浮かべて彼を見つめる、モテ方だった。 ある鍋料理屋の仲居三人は、四国から帰ってきた「坊っちゃん」にご馳走をつくって食べさせてやっている「清」がこうだったというくらいうれしそうな顔をしたという。

 佐藤雅彦東京藝大名誉教授は、「私は銀座をこう逃げる」(同年2月号)。 ある夕刻、銀座七丁目のギャルリーためながのウィンドウのユトリロの絵をなんとなく眺めていたら、斜向かいのエルドールという、小ささと値段の高さと洒落加減の、三拍子そろったケーキで有名な店の脇で張り込んでいた二人の刑事に、突然、「動くな! 逃げても無駄だ!」と迫られ、身に覚えがなくとも、その勢いで駆け出してしまった。 電通(外濠)通りの赤になったばかりの信号をダッシュして渡り、日軽金のビルの横をコリドー街の方へ向かい、すぐに左に曲がり、いわしやを目指すと、思わせて実は、左の窪みのような一角に入り込む。 一見、袋小路のようだが、実は行き止まりに細い路地があり、ウエストの裏から電通通りへ抜けられるのだ。 逃走完了。 銀座の表裏を歩き回っていた私も、路地をいくつか知っていて、中には喫茶店の中を横断するものもある。

思い出の中の誰かの笑顔がとても素敵だと、小説家の道尾秀介(2013年10月号)。 みゆき通りで、支店の女性たちがお茶から帰るのと、すれ違った。 その中の一人の笑顔が、輝いて見えた。 62年が経ち、今、わが家にいるのが、その人らしい。