映画『必死剣 鳥刺し』「池脇千鶴の里尾、一夜一生」 ― 2026/02/24 07:07
映画に戻ろう。 『必死剣 鳥刺し』で、藩主の愛妾連子を刺殺した兼見三左ェ門、切腹は当然だが悪くすると斬首、縛り首の刑も覚悟していた。 だが、一年の閉門、二百八十石の禄を百三十石に減らし、物頭免職というだけの処分だった。 側室を原因とする失政に手を出せないため、藩中に充満していた重苦しい空気は、一掃された形にはなったのだけれど…。
兼見は妻睦江(戸田菜穂)を亡くしていて、その死を看取った姪の里尾(池脇千鶴)と、婆さん女中のはな(木野花)の三人暮しになる。 中間と若い女中には暇を出した。 里尾は、一度家中に嫁いだが、不縁となり、弟の継いだ実家でなく、叔母の看病に来た兼見の家に居付いた。 里尾は、魚を届けてきた釣好きの親戚兼見伝一郎(高橋和也)に、「おじさまは、自分の死に場所を見つけるため」だったと思う、と言う。 葉隠の「武士道と云ふは死ぬ事と見付たり」。 里尾は一室に蟄居して、鳥の木彫などする兼見に尽し、季節は夏から秋、冬とめぐり、はなはその味噌汁を「亡くなった奥様の味に似て来ましたのう」という。 一年が経ち、閉門御免、風呂で里尾に背中の一年分の垢を流してもらった兼見は「難儀をかけたな」、「今しばらく一人で御領内を歩いてみようと思う」という。
池脇千鶴の里尾、一夜一生<小人閑居日記 2013.5.29.>
池脇千鶴という女優、何年か前に「のどごし<生>」というビールの、元気あふれるCMで名前を憶えた。 一転『必死剣 鳥刺し』の里尾役、いつもきちんと着物を着て、口数も少なく家事や庭の畑仕事をこなし、叔父への恋慕の情を秘めている。 適役、好演といえよう。 好きでないと書いた豊川悦司も、案外清潔で、寡黙ながら信念を持ち、藩を救うためなら命をも辞さない兼見三左ェ門は、なかなかよかった。
中老の津田民部が、兼見三左ェ門を厳罰にせず、近習頭取の役に復活させたのには、意図があった。 兼見が天心独名流の剣の達人で、鳥刺し、別名必死剣と呼ぶ必勝の秘伝を遣う唯一の人物だと知ったからである。 藩主の血縁で「御別家様」と呼ばれる帯屋隼人正(吉川晃司)は、多年右京太夫の失政を非難し続けて来ており、連子の件で直接藩主を諌めた唯一の人物でもあった。 帯屋家は、もともと赤石郡の土豪で、海坂藩主がこの地に封じられた時、召し出されて家老を勤めた。 藩主は帯屋家と縁組して、取り込む一方、家格を家老職にとどめたまま無勤とした。 帯屋隼人正は、直心流を遣って名手といわれている。 その帯屋が藩主を襲うかもしれないという心配が出て来たのだ。 津田は、「必勝の剣を、お上のために役立てろ、兼見」と、言った。
兼見三左ェ門は、閉門につづく逼塞の暮しを里尾によりかかって生きて来た。 その娘ざかりを喰いつぶしてきたという思いから、もと同じ物頭で今は隠居している保科十内(小日向文世)に縁談を頼むと、普請組の牧藤兵衛を同道して兼見の家を訪れる、お見合いのようなことがあった。
風呂で背中を流してくれる里尾に「そなたが背中を洗ってくれるのが、あまりに心地よくてつい甘えておったが、今夜かぎりじゃな。今後は無用にいたせ」。 牧をどう思ったか聞くと、里尾は「私は嫁になど、行きたくはございません」という。 いつ殿を襲って来るかも知れない帯屋隼人正のことを考え、「わしに万一のことがあった場合……嫁に行くしかないぞ、里尾」。 不意に三左ェ門は、濡れた背に、熱い頬が押しつけられるのを感じた。 「おじさまの、おそばにいたいのです。いつまでも」
翌朝のことを、藤沢周平は「ただ一夜で、里尾は魅惑に満ちた女に変っていた。眼はいきいきと光り、小さくひきしまった唇が濡れている。」と書く。
「鶴羽村に知り合いの家がある。手紙を書くゆえ、それを持ってそこへ行け。時期がくれば迎えに行く」「必ずと約束して下さい」「必ず迎えに行く」
武士の愛と自由<小人閑居日記 2013.5.30.>
『必死剣 鳥刺し』の結末、賢明な読者はすでにおわかりだろう。 帯屋隼人正が藩主に会わせろとやって来て、兼見三左ェ門が立ち塞がる。 チャンバラになる。 兼見は左手を斬られるが、帯屋を斃す。 すると津田民部は「兼見が乱心の上、御別家様を斬った」と叫ぶ。 津田の手の者等が大勢隠れていて、乱戦の末、メッタ刺しにされて兼見は座り往生する。 近づく津田、「必死剣 鳥刺し」とは何であったのかが、ここで明らかになるのだ。
鶴羽村は、祭りであった。 里尾は、毎日そうしているように、赤ん坊を抱いて、村はずれまで、迎えに出ている。 「今日もいらっしゃらなかったのね」と帰って行くところで、映画は終わる。
里尾は、三左ェ門との暮しや一夜の歓喜の記憶と、その子を産み育てる喜びだけで、生きていけるのだろうか。 母と子はこの村に根をおろしていくのだろうか。 いかにも里尾が哀れである。 津田民部の陰謀に気づかなかったのは不覚だったが、海坂藩士兼見三左ェ門に、別の選択はなかったのだろうか。
山田洋次監督が、藤沢周平の同じシリーズから映画化した『隠し剣 鬼の爪』(2004年)では、幕末海坂藩の平侍片桐宗蔵(永瀬正敏)が、もと自家の女中をしていた百姓の娘で、油問屋に嫁いだきえ(松たか子)と再会し、酷い扱いを受けていたきえを救い出す。 宗蔵は、藩内の騒動に巻き込まれて「隠し剣 鬼の爪」を遣った後、きえを愛する自分に誠実に生きる決意をする。 ここで山田洋次監督は、藤沢周平原作にはない、武士が藩や身分の枠を越える自由への飛躍を付け足した。 武士を捨てて、蝦夷に向う宗蔵は、一緒に来て欲しいときえに話すのだった。
映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」 ― 2026/02/23 07:03
<小人閑居日記>は、足かけ25年になるから、いろいろなことを書いてきた。 藤沢周平についても、映画は『蝉しぐれ』『秘太刀(ひだち) 馬の骨』『隠し剣 鬼の爪』『必死剣 鳥刺し』から、作品は直木賞『暗殺の年輪』、北斎を描いた『溟い海』、藤沢周平を描いたテレビドラマまで。 その中で、朝ドラ『ばけばけ』で、松野トキ(髙石あかり)の母フミを演じている池脇千鶴が『必死剣 鳥刺し』に出ていたのを「池脇千鶴の里尾、一夜一生」と特筆していたので、長くなるが、その一連を紹介したい。 まず、映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」と、三田の演説館での日本における拍手の起源から。
映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」<小人閑居日記 2013.5.27.>
5月4日に、BSプレミアムで放送された映画『必死剣 鳥刺し』を見た。 2010年、平山秀幸監督作品。 藤沢周平の原作である。 映画館で観なかったのは、主演の豊川悦司が好きでなかったからかもしれない。 桜満開の海坂藩城中、能舞台春楽殿での能から始まる。 エンドロールによると、能「殺生石」で、演じたのは梅若研能会、シテ梅若紀長。 海坂藩主右京太夫(村上淳)、側妾(そばめ)連子(れんこ)(関めぐみ)、中老の津田民部(岸部一徳)を始めとする執政の重臣たちから、物頭(ものがしら)保科十内(小日向文世)・兼見三左ェ門(豊川悦司)など家臣、奥御殿の女性たちが居並んで能を観ていた。 能が終わると、まず連子が拍手した。 すると、藩主右京太夫が拍手し、それを見て、一同が拍手した。 あとでわかるのだが、この冒頭シーンは物語の深い事情を象徴していた。 藩主は才色兼備で政治好きの愛妾にぞっこんで、藩政に連子の意見を採用するため、執政たちは口出しできず、明白な失政が表面に出てきていた。 藩財政が苦しい中、廃寺が復興され、大伽藍が出来ると、その寺を宰領したのは連子の父だった。 執政会議に出された倹約令の提案は、ことごとく否決された。 連子は藩主の執務部屋にも顔を出す。 奥御殿の経費を削った勘定方の安西(どこかで見た顔だと思ったら落語家の瀧川鯉昇)は切腹させられた。 そういう状況での、側妾の拍手に続く藩主の拍手、そして一同の拍手だった。
私は、この拍手に違和感を持った。 江戸時代に拍手はなかったはずだ、と思ったのである。 藤沢周平の原作を見たが、拍手はなかった。 「拍手は三田の演説館から始まった」と、どこかで読んだ記憶があった。 探すと、桑原三郎先生の『福澤先生百話』(福澤諭吉協会叢書・1988年)の「第七五話 三田演説館」だった。 「皆さんは、人の話を聞いた後で、よく拍手するでしょう。あの拍手も、三田演説館から日本中に広まったものなのです。」
能を観終わった人びとが、藩主を筆頭に、橋廊下を退場する。 艶やかに着飾った連子が橋廊下にかかった時、兼見三左ェ門が近寄り、柱に押しつけるようにして、その胸を小刀で刺した。 覚悟の兼見は、その場に控えた。
君側の奸(姦)を斬る<小人閑居日記 2013.5.28.>
側室に藩主がぞっこんで、藩政に口出しさせることは、よくあったようで、小説のよい材料だ。 幕府が諸大名の正室と嫡子を人質として江戸に留め置いたこと、藩主が急死して世継ぎがなければお家断絶となることが、その背景にあった。 今、宮部みゆきさんが朝日新聞朝刊に連載中の『荒神』でも、東北の香山藩主瓜生久則の側室、由良が「張り子のように中身のない女」なのに、「御館様(みたてさま)」と呼ばれて、恐れられている。 藩主の小姓、小日向直弥の家が、下手をすれば取り潰しに遭いかねない状況にある。
由良といえば、幕末薩摩の「お由良騒動」を思い出す。 側室が自分の子に殿様の跡を継がせようとすると、お家騒動になる。 薩摩では、藩主島津斉興(なりおき)・家老調所広郷(ずしょひろさと)が世子斉彬(なりあきら)と対立した。 調所は斉興の側室お由良の方の子忠教(久光)を世子としようとし、嘉永2(1849)年斉彬派の家臣は忠教暗殺をはかり発覚、切腹・遠島などの弾圧を受けた。 のちに幕府の介入で、斉興は隠居し、斉彬が藩主となる。 斉彬の急死後、久光が藩主忠義の実父として藩政を掌握し、幕末薩摩の活動の上に立つ。
山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』と黒澤明 ― 2026/02/22 07:45
『たそがれ清兵衛』と黒澤明<小人閑居日記 2002.12.5.>
プログラムの「『たそがれ清兵衛』試論--あるいは山田洋次の「冒険」」という文章に、吉村英夫さん(テレビで山田洋次監督に寅さん映画について聞いているのを、見たことがある)が、本格的なリアリズム時代劇に取り組んだ山田監督には、黒澤明が念頭にあったのは事実である、と書いている。 衣裳担当に『夢』以降の黒澤作品のそれを担当した黒澤の長女、和子を起用した。 野上照代など黒澤組スタッフからの助言も得ている。 敵役に舞踏家田中泯という異色の起用をした、クライマックスの暗い室内での凄絶な殺陣のシーンなどは、明らかに黒澤明の影響だろう。 原作の一つ「竹光始末」は、浪人者が上意討ちを成しとげれば仕官の願いを叶えようという話だという。 その線で書かれた最初のシナリオが、映画のように書き直されたのは、黒澤の遺作シナリオを黒澤組が撮った『雨あがる』を意識したからではなかったのか。
吉村英夫さんによれば、かつて黒澤明は山田監督に「わからないんですよ。 侍が具体的にどういう生活をしていたのか。 朝、顔を洗ったのか、歯を磨いたのか、城で食事をするとしても、弁当持参なのか給食なのか」(1991年『対話・山田洋次』旬報社)と語ったという。 『たそがれ清兵衛』では、少し足りない下男直太(神戸浩。貧しい下級武士にも規則で下男が必要だったのだろう)が、弁当を持って登城する。 内職代の支払いに来る男に、湯銭の上がったのを理由に、値上げを頼んでいるが、風呂屋へ行ったのだろうか。 宮沢りえの朋江が会津の家中に嫁に行くという話があるが、藩の領域を越えての結婚はあったのだろうか。 米どころの庄内で、百姓の子が飢餓で死に、川を流れて来るということがあったのだろうか。 細かいことをいえば、そんなことが気になった。
山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』 ― 2026/02/21 07:09
<小人閑居日記>は、パソコン通信時代の朝日ネットのフォーラム「等々力短信・サロン」に、2001年11月29日に書き始めた。 ブログ「轟亭の小人閑居日記」になったのは、2005年5月14日からである。 まだ初期で、ブログでは読めない頃に、「『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』」と、「『たそがれ清兵衛』と黒澤明」を書いていた。 その時に観た山田洋次監督初の時代劇映画『たそがれ清兵衛』の原作は、藤沢周平の三作品「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人(ほいと)助八」だった。 昨2月20日までのNHK FM「朗読の世界」で、中原丈雄が最後に読んだのは、その「祝い人(ほいと)助八」であった。 <小人閑居日記>の「『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』」と、「『たそがれ清兵衛』と黒澤明」を、二日にわたり再録させてもらう。
『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』<小人閑居日記 2002.12.4.>
山田洋次監督初の時代劇映画『たそがれ清兵衛』を観た。 舞台は海坂(うなさか)藩、藤沢周平さんの三作品を原作としているから、月山や鳥海山を望む風景も、「で、がんす」という言葉も、父方のルーツの地である山形庄内の鶴岡のもので、なつかしい感じがすると同時に、観終って、父に観せたかったという思いにとらえられたのであった。
清兵衛(真田広之)は五十石取の下級武士である。 それも二十石は借上げ(諸藩が財政窮乏のため、家臣に対して知行高や扶持高をへらしたこと)だったから、実質三十石だった。 長く労咳を患って死んだ妻の治療費や葬式代のための借金を抱え、たそがれとともに酒の誘いなどには付き合えず帰宅、夜遅くまで内職の虫籠づくりをしながら、もうろくした母と幼い二人の娘の面倒をみて、ひどく貧しく暮している。 すぐ思い出すのは、中津藩の下級武士だった福沢諭吉の家の暮しである。 十三石二人扶持というから、「たそがれ清兵衛」よりも、たそがれている。 『福翁自伝』には、少年時代からなんでも自分でやり、下駄づくりや刀剣の細工の内職をしたことが書かれている。
山田洋次監督は、ほんの少し前の祖先である幕末の下級武士の暮しがどんなものか、そんな辛い環境で暮しながら、どこか凛としていた姿を、リアルに描きたかったのだという。 監督の祖父は、九州の小さな藩の下級武士の息子だったのだそうだ。 たそがれ清兵衛の親友で、宮沢りえの演じた飯沼朋江の兄、倫之丞役の吹越満は撮影前に、山田監督から『福翁自伝』を渡されたという。 吹越満は「幕末の山形では、江戸や京都で何が起っているか普通の侍はまだ気づいていないけれど、僕が演じる飯沼は情報を仕入れてきて、「このままじゃ駄目だ」と言う。 これは諭吉と同じようなものをきちんと背負っている、ということだと思うんですが。 この本は読み物として面白かったですね」と語っている。 私は監督が読ませた意図は、下級武士の暮しの方に力点があったと思うのだが、監督の念頭に『福翁自伝』があった証拠として、このプログラムにある話は面白い。
ラフカディオ・ハーン、黒人混血女性との結婚 ― 2026/01/10 07:11
11月の「等々力短信」 第1197号『アメリカ史とレイシズム』(2025(令和7).11.25.)に関連したことを書いておきたい。 朝ドラ『ばけばけ』で、ヘブン(トミー・バストウ)が江藤島根県知事(佐野史郎)の娘リヨ(北香那)にプロポーズされ、「自分は人と深く関わることをやめた」「通りすがり」の人間だとして断わり、アメリカのオハイオ州シンシナティでの体験を告白する場面があった。 新聞記者をしていたヘブンが、下宿先のアパートで下働きをしていたマーサに親切にされて恋仲となり、プロポーズして、教会で二人だけの結婚式を挙げた。 マーサは黒人との混血で、オハイオ州では異人種間の結婚は禁止されていた。 牧師は、それでもいいのかと念を押した。 結婚の事実がわかると、ヘブンは新聞社を解雇され、生活の道を断たれる。 マーサは、自暴自棄となり、剃刀で大家を斬りつける事件を起こし、収監されてしまう。 その結婚は、破綻に終わったのだった。
平川祐(示偏)弘さんの『小泉八雲 西洋脱出の夢』に、事実関係が書いてあった。 ラフカディオ・ハーンがミシシッピーの支流オハイオ河に面したシンシナティに来たのは1869年、南北戦争が終わって4年後だった。 ハーンは1872年から『シンシーナティ・インクワイアラー』紙に寄稿を始め、74年ごろ同紙記者となった。 記者となった頃、彼が下宿した家の調理場でマティー・フォーリーという女が働いていた。 マティーは、ある白人農園主と黒人女奴隷の間に生まれた女で、教育はなかったが話し上手だった。 背が低く、容貌が醜く、少年時代に誤って片目を失明したハーンは、財産も収入も少なく、とても白人の女とはまともに結婚できない、というコンプレックスに悩まされていた。 そのせいかどうか、ハーンはマティーに同情し、女もまたハーンに好意を寄せて、二人はただならぬ仲になった。 当時のオハイオ州は白人と黒人の結婚を法律で禁止していたが、ハーンは一国者だから、あえて法律違反の結婚をし、本来あげてはいけない式まであげた。 しかしその同棲生活はうまくいかずマティーの方から逃げ出した。 社会の掟にそむいたハーンは白人社会から白眼視され、いたたまれなくなって1877年10月下旬、南のニューオーリーンズへ落ちのびたのである。
子供の頃、観た映画で、普通の暮らしをしていた女性が、リタ・ヘイワースだったかな、ミシシッピー川を船で旅行中に、黒人との混血であることが判明して、急に立場が一変し、奴隷として売られることになるのがあった。 子供ながらに、胸を締め付けられるような感じがしたのを、未だに覚えている。
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