この国はどう出来たか<等々力短信 第965号 2006.7.25.> ― 2006/07/25 06:40
「中学生以上すべての人」を対象に、日本という国のしくみと歴史を知り、 いまの状態がどうやって出来てきたかを説いた、薄くて易しい本が出た。 小 熊英二さんの『日本という国』(理論社)は、近代において日本の基本的なしく みができあがった二つの時代、明治の「大日本帝国」建国と、第二次大戦後の 「日本国」建国に話をしぼる。 明治にはずっと関心を持ってきたし、戦後は 育ち、生きてきた時代である。
明治建国の主役として登場するのが、福沢諭吉だ。 福沢は『学問のすゝめ』 を書いて、西洋列強の植民地にされないよう、国を強くために、身分制度をや め、支配階級だけでなく、農民や町民も学問を身につけて、「日本という国」の 運命をになうようにしなければならないと説いた。 小熊さんは、福沢の時論 を引きながら、日本が「侵略される国」から「侵略する国」へ、「東洋」を脱し て「西洋の国」の仲間入りする方向で、日本の近代化は始まった、とまとめる。 明治20年代の半ばを過ぎると、近代戦のための兵隊にも、近代的な会社や工 場の社員や工員にも、教育が必要なことがわかり、学歴の高い者が安定した高 収入を得る「月給取」となって、学歴社会が成立した。 同時に、国への忠誠心 を持たせる「修身」や「歴史」教育も、強められるようになる。
小熊英二さんの戦後建国のまとめは、アメリカの忠実な同盟国、「家来」にな ることを選ぶことによって、経済成長に成功した日本、である。 アメリカの 方針にしたがいながら、憲法第九条で戦争を放棄し、軍事力を持たない分を、 講和条約で戦後賠償をまけてもらったのと合わせて、経済の復興につぎこみ、 高度成長を果たした、というのだ。 講和条約と同時に、日米安全保障条約が 結ばれ、アメリカ占領軍は駐留軍、在日米軍として米軍基地に居残った。 朝 鮮戦争でアメリカの方針が変り、自衛隊をつくった。 冷戦終了後は、アジア 諸国からの戦後補償要求、アメリカの自衛隊海外派遣や米軍経費負担要求の高 まりに直面している。 流れは憲法改正の問題にもつながる。
福沢については、福沢が明治日本の台本を書いたのは確かだが、強兵、侵略、 学歴社会、修身教育と直接結びつけて、読まれそうな点が、心配になった。 「戦 争がもたらした惨禍」の章にある作家・夢野久作の長男で、戦後復員事務の仕 事をしていた杉山龍丸の回想文(85頁)には、涙が出た。 大学一年の昭和 35(1960)年初夏、安保改定反対運動で明日にも世の中がひっくり返りそうだっ た日々を鮮明に思い出した。
読史五十年から得たもの ― 2006/07/25 06:42
22日、慶應義塾創立150年記念事業の一つ「復活!慶應義塾の名講義」の第 6弾、森岡敬一郎名誉教授の「読史五十年から得た教訓と反省」を聴きに行っ た。 三田キャンパスの第一校舎121番教室、きれいに改装はしてあるが、40 年以上の昔、高木寿一教授の「財政学」や飯田鼎助教授の「社会政策」の講義 を受けた記憶のある教室だ。 古い教室だからということでもないのだろうが、 マイクの準備が悪くて、せっかくの「名講義」が、まことに聴きにくかったの は、森岡先生にもお気の毒だったし、残念であった。 事務局は、これを「教 訓」に、猛「反省」してもらいたい。
森岡先生は文学部の西洋史、マグナ・カルタの研究がご専門という。 私の 在学中は、助教授だったようだが、学部も違うのでまったく知らなかった。 83 歳、9月には84歳になられる。 「読史五十年」には、戦争に行って帰って から、ぼーっとしていた五年間と、最近の五年間を差し引いた、多少謙遜の意 味がある、という。 戦争から帰って、なぜイギリスに負けたのかを考えた。 それでイギリスの歴史、憲法や制度、マグナ・カルタの研究に入って行った、 というのだ。 私は、司馬遼太郎と同じだ、と思った。
肝心の、なぜイギリスに負けたのかの要因(つまりあちらにあって、こちらに ないもの)を、二つ挙げたのだけれど、よく聞こえなかった。 一つは、最大の ものや理想的なものでなく、考えられる次善のものを選択すること。 もう一 つは、人間は不完全なものであるという人間観。 それは、福沢先生の人間蛆 虫論、人事には絶対の美がない、どこか欠陥があるけれど、それを承知の上で 謙虚に努力する、というのに通じるところがある。 利己心を捨てることで、 謙虚さを得るというアダム・スミスの話も出たのだけれど、よく聞こえず、間 違っているかもしれない。
専横な王様にマグナ・カルタを認めさせる以前の時代には、王様はあらゆる こと(相続・後見・結婚にも税金を課す)で収入を増やすことを考えて、めちゃ くちゃに搾取していた。 それでも増大する国費には追いつかず、毎年赤字な ので、戦争をやる、つまり「桃太郎」をやった。 太平洋戦争で、日本が中国 に出かけ、さらに南方の石油を目指したのは、8~9世紀の頭で、20世紀をや ったのだ。 古い歴史も、現代につながる教訓がある、というお話だった。 も し間違いがあれば、よく聞こえなかったせいである。
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