『まほろ駅前多田便利軒』2006/08/01 06:42

 李承燁(イ・スンヨプ)は29歳。 8月18日の誕生日までには、日韓通算400 号ホームランを打てるだろう。 そうでないと、一人一生懸命やっているので、 小関が3塁を踏まなかった幻の一本が、いかにも可哀想だ。  三浦しをんさんも29歳。 13日に、第135回の直木賞に決まった。 受賞 作の『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)を読む。

 まほろ市は東京都なのだが、その西南部に神奈川に突き出すような形で存在 する。 JR八王子線と私鉄箱根急行線、略してハコキューが交差している。 と いうから、町田だろう。 多田啓介は、白の軽トラックを持ち、事務所兼自宅 の古ぼけたビルの一室で便利屋「多田便利軒」を営んでいる。 そこに都立ま ほろ高校の同級生で、高校時代にある因縁があった、行天春彦が転がり込んで 来る。

 便利屋というのは、どんな仕事をするか。 市民病院に入院しているおばあ さんのところに、息子になりかわって見舞いに行く。 掃除や草取り。 年末 年始に、チワワを預かる。 横中、横浜中央交通のバスが間引き運転している と疑う依頼人の意を受けた、バスの運行時間調査。 駅前の進学塾に通う小学 生を、帰りに家まで届ける。 だいたいの料金は、一時間二千円。

 駅裏には、その先に米軍基地があるためか、歓楽街があり、コロンビア人の 娼婦ルルと名乗るあやしげな女たちや、それにつながって、砂糖のような粉を 売る男などがいる。 チワワの飼い主が、犬を預けたまま、行方不明になった ことから、チワワの新しい飼い主を探していて、多田と行天は、その駅裏世界 とかかわりを持つことになって、物語が展開する。

まだまだ希望はある2006/08/02 07:43

 便利屋『まほろ駅前多田便利軒』は、その営業を通じて、現代日本の抱える 諸問題に直面する。 タッチは軽いが、扱っている問題は、けっこう重いのだ。  親子関係、子供の教育、借金取りみたいな人にうろうろされての突然の夜逃げ、 男女の別れ話のもつれ、果ては女子高校生の親殺しまで。 そして、なんで便 利屋なんかやったり、その居候になったりするのか分からない、多田啓介と行 天春彦の二人自体も、過去に深刻な事情を抱えていた。 東京西南のこの町に 住む、いろいろ問題はありながら、内実はやさしい人同士がつながって、他者 それぞれにいろいろな生き方のあることを認めながら、生きていくところに、 希望を見出そうとする。

 「だれかに必要とされるってことは、だれかの希望になるってことだ」(100 頁)

 「だけど、まだだれかを愛するチャンスはある。与えられなかったものを、 今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しくだれかに与えることができるんだ。 そのチャンスは残されている。」(158頁)

 「今度こそ多田は、はっきりと言うことができる。/幸福は再生する、と。 /形を変え、さまざまな姿で、それを求めるひとたちのところへ何度でも、そ っと訪れてくるのだ。」(334頁)

壮大な句会が始まった2006/08/03 07:43

 明治41(1908)年8月、高浜虚子、松根東洋城たちは「日盛会」という一か月 連続句会を行ったのだそうだ。 本井英先生が、その「日盛会」を98年ぶり に復活、しかも午前・午後にして句会数を倍の62回に増やして、逗子のご自 宅で挙行するという壮大なイベントに着手された。 参加資格は特に問わず、 選句数・席順など、俳壇的に著名な方も、初心者も同等に処遇して、参加者の 鍛錬と親睦を深めたいという。 案内に「日頃は句筵を共にする機会の無い者 同志が偶会し句心を共にするのも、何かの縁と考えます」とあった。

 句会ごとに、兼題が出ている。 8月1日は、午前が「時鳥」、午後「炎天」。  2日「蠅」「土曜」、3日「撫子」「ヨット」などと続き、最終日31日「月」「露」 で千秋楽となる。 毎日、午前の兼題が、98年前の句会とほぼ同じ題である。  当日、逗子海岸等での嘱目吟も可、となっている。

 復活「日盛会」の記念すべき初日に、午前・午後の二回、参加させていただ く光栄に浴した。 本井英先生を含め、午前の参加者12名、午後14名。 「炎 天」はともかくとして、「時鳥(ほととぎす)」には参った。 東京では、とんと お目にかかることがなかったからである。  このところ、ずっと頭の中に、 「時鳥」が引っかかっていた。 出句は10句、選句も10句、そのうち特選句 を1句選ぶ。 午前の部は11時の出句締め切りで、1時間半ほどの句会となる。  午後の部は、3時半の出句締め切り。 これが、どんな方々が参加する、どの ような句会になったかは、また明日。

第一番「時鳥」の句会2006/08/04 08:03

 錚々たるメンバーが参加されるような話は聞いていた。 だが、まさか林家 木久蔵さんや村上開新堂の山本道子さん、NHK俳壇にも出ていらっしゃる『円 虹』主宰・神戸の山田弘子さん、慶應義塾中等部教諭で『知音』主宰の行方克 巳さんと、ご一緒とは思っていなかった。 山田さんとおいでの、西宮の本郷 桂子さんも、芦屋の黒川悦子さんもホトトギス同人の俳人、隣に座らせて頂い た船橋の佳田翡翠さんも含め、皆さん俳句講座の講師を務めておられるような 方々であったことが、翌朝、インターネットの検索エンジンに「俳句」と「お 名前」を打ち込んでみて、わかったのである。 ほかは慶應関係・本井門下の おなじみの面々、矢板けん詞さん、坂本渓山さん、漉橋(すきはし)山宗さんで ある。

 そこで、私の出した「時鳥(ほととぎす)」の10句。

  不如帰世田谷出でて逗子に啼く

  東京に尋ねあぐねてほとゝぎす

  あの頃はランプの宿よ時鳥

  猿の来る湯までの登り時鳥

  ひかりごけ探し求めて時鳥

  山寺の静けさを裂くほとゝぎす

  ほとゝぎす根岸の古き豆腐店

  時鳥なくか有明テニス場

逗子降りて避暑地の人の顔になる

  朝顔は江戸のつづきを咲きにけり

 清記と選句をしていて、「時鳥」にこだわりすぎたのは失敗だったかな、と思 った。 皆さん、嘱目の句が多かったからである。 「時鳥」を尋ねあぐねた 苦しさが「有明テニス場」あたりに出ている。 『不如帰』や「避暑地」の句 は、初日の挨拶句のつもりだった。 結果はというと、意外や意外、このとこ ろの「啼かず飛ばず」の続きではなかったのだ…。

三茶・木久蔵さんと気が合う2006/08/05 07:16

 本井英先生の披講を前に、各自自己紹介と特選した句の、句評と感想を述べ る。 結果的にこの特選句、全員別々の句を選ぶことになった。 林家木久蔵 さんは、俳号を「とよ田三茶(さんさ)」、「とよ田」は本名の豊田洋さんから、「三 茶」はお住まいが三軒茶屋のあたりだかららしいが、当然「一茶」を意識して いるのだろう。 当り前だが、高座の顔とぜんぜん違うおそろしく真剣な顔を して、句会に臨まれる。 その三茶さんが「朝顔は江戸のつづきを咲きにけり」 を特選してくれた。 江戸のつづきに、朝顔の紫色、江戸紫を思い浮かべたと、 おっしゃる。 その上に三茶さんは、「猿の来る」「根岸の豆腐店」「逗子降りて」 も採ってくれた。 「朝顔は江戸のつづき」を弘子さん、桂子さん、渓山さん、 「猿の来る」を道子さん、桂子さん、山宗さん、「逗子降りて」を渓山さん、「ラ ンプの宿」を克巳さんに、お採りいただいた。 「時鳥」をたくさん出した割 には、望外の好成績というほかない。

 私は「届きたる西瓜は重し温かし」という句を特選にした。 西瓜にさわっ て「温かし」だけでなく、届けてくれて嬉しい気持の「温かし」も感じたと、 述べた。 これが、三茶さんの句だったのである。 ほかに選んだのは(敬称略)、

  潮涼し子鯊子鱸うちまじり      英

  暇乞ひするすいつちよの灯の下に   弘子

  木苺をまづ失敬し扉押す       同

  夏布団けって足首並びおり      三茶

  葛の蔓先は鎌首何狙ふ        道子

  草刈りしばかりの庭の香に溺れ    桂子

  車から降りた途端の時鳥       悦子

  ほととぎす杣道忽と消えてをり    翡翠

  手花火の燃え尽きて顔見えなくて   山宗