志ん輔の「紙屑屋」 ― 2006/10/03 07:12
若年性の閑人だったから、落語研究会459回のほとんどを見てきたわけだけ れど、この人のこの高座に、客として参加できてよかったと思うことが、たま にある。 この夜の志ん輔の「紙屑屋」が、それだった。 音曲や舞踊の素養 がないから、十分にわかったとはいえないけれど…。 仲入の後という出番も、 実は仕込んであったのだった。
今の私の齢になる前に死んだお袋と一緒に、まだ小文枝だった頃の文枝を、 この会で見たことがあって、歌舞伎をよく観ていた母が、その歌と座り踊りに 感心して、そうとう稽古しなければ、ああはいかないと言ったことがあった。 その演目を「稽古屋」と記憶していて、短信にもそう書いたことがあったが、 文枝が死んでから上演リストを再確認したら、「紙屑屋」でないと、母と一緒に 見ることができないことがわかった。
「紙屑屋」の若旦那は居候の果てに、船頭でなく紙屑屋になる。 紙屑の山 から、白紙、カラス(黒い紙)、線香紙(煙草の空き箱)、陳皮(みかんの皮、七味 や漢方薬になる)、毛(ご婦人の髪の毛、かもじにする)を選り分ける仕事だ。 色 男のやる仕事じゃあない。 紙屑の中から、いろんなものが出てくる。 風流 どどいつ本、義太夫の稽古本、清元の本、そのたびに若旦那は一節、歌うわけ だ。 隣から声がかかり、また「白紙は白紙、カラスはカラス、線香紙は線香 紙、陳皮は陳皮、毛は毛」に戻る。 紙屑の中からハーモニカ、と見ると、入 れ歯だった。 清元をうなると、きたねえ笛が出てきた。 志ん輔は「やりた い放題だな」と独り言をいい、「ここは双方 (自分と客) とも緊張する」と、そ の笛を吹く。 三味線の音が聞こえてくる。 紙屑の中から、赤い紐が出てき た。 タスキだった。 手拭で捻り鉢巻をする。 尻を端折ると、赤い股引。 「矢来町」と、声がかかった。 だれもが住吉踊りの師匠志ん朝のことを思う。 志ん輔は「かっぽれ」(だと思う、素養のなさ)を、見事に踊った。
コメント
_ 鳴海 ― 2006/10/03 09:41
_ パンダ ― 2006/10/03 17:31
私の好きな三人が出るのでとても楽しみでした。そして、あの志ん輔の「紙屑屋」で私の落語鑑賞歴でも忘れることのできない高座となりました。
居合わせた幸せとでもいいましょうか。脳裏に焼き付いて忘れられません。
ありがとうございました。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。