雲助の「やんま久次」 ― 2006/10/04 08:10
五街道雲助、例によって「奴さん」みたいな恰好で出て来る。 「やんま久 次(きゅうじ)」は初めて聴く噺だ。 雲助も「誰もやり手がない」という。 派 手な志ん輔の後だから、余計に地味で陰気な感じがする噺だった。 久次、実 は九次郎は、番町の御厩谷に屋敷のある直参の旗本の次男坊なのだが、家を飛 び出して、本所方のよからぬ所で、博打にうつつを抜かし、ならず者の仲間入 りをした。 背中にトンボ、大やんまの彫り物があるので、「やんま久次」と呼 ばれている。
博打で摩(す)って「やかんのタコ(手も足も出ない)」になった久次、いつもの ことで兄の屋敷に小遣いをせびりに来る。 用人の伴内に掛け合って断られ、 式台のところで「屋敷に火を放つ」の「赤猫を走らせる」のと、わめき声を上 げている。 たまたま奥に来ていた兄弟二人の剣術の師匠、浜町の大竹大介が、 このまま放置していては目付の耳にも入り家名にさわるからと進言、腹を切ら せましょう、介錯仕りましょう、ということになる。 畳二枚を裏返し、白い 布を敷き、四隅に青竹を立てる。 大竹大介が久次郎を後ろ手に取って引き立 て、いよいよ切腹させる段取りとなる。 「死ぬのはいやだ、命ばかりは」と 久次郎。 そこへ小さい時から久次郎を可愛がっていた老いた母親が登場。 つ いに久次郎は改心する。 大竹様こちらにと、母親は大竹と話をし、本所に帰 る久次郎と大竹が同道する。 九段の坂を下りると、田安の櫓に灯が入ってい た。 途中で、大竹は母親からの三両の金が入った巾着袋を久次郎に渡し、こ れで身なりを整えて、侍奉公するように、ご母堂様の御恩に孝、兄上の殿様に は忠、身を謹んで生きろと意見する。 このまま終われば、なんともつまらな い勧善懲悪の噺で、「やんま久次」があまり演じられないのも、さもありなんと いうところだが…。
どんでん返しがある。 久次郎は、ケツをまくるのだ。 ぼうふらの生餌で 金魚を飼い、鈴虫を来年は殖やして差し上げましょう、米のとぎ汁を朝顔にや って毎朝咲く花を楽しむような生活をしていては、俺のように地獄に片足を入 れたような思いをしたことはあるめえ、と。 みんなが拍手したところを見る と、案外、世間は平凡より悪(ワル)に、ささやかな幸福より破滅型に、密かに 憧れていて、同情的なのかもしれないという気がした。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。