「おお!」から「うそ!」へのジャンプ ― 2007/04/11 07:53
山村修さんの『書評家〈狐〉の読書遺産』に、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』 の鴻巣友季子さんによる新訳(新潮文庫)の話がある。 すでに両手に足りぬ ほどの邦訳が存在するこの小説に、あえて新訳を送り出した翻訳家としての自 負と確信をうかがわせる清新な訳しぶりだという。 たとえば、と山村修さん があげたのは、次の場面だ。 主人公キャサリンの娘キャサリン・リントンが まだ幼い頃、ひそかに従兄弟と交したラブレターを机の抽斗(ひきだし)に隠 しておき、愉しみに読んでいた。 その相手からの手紙の山を、使用人ネリー が見つけて、取り去ってしまう。 抽斗が空になっているのを知った彼女が、 おどろきのあまり、発した言葉。 鴻巣訳では「うそ!」となっている。
山村修さんは、書く。 「この「うそ!」という、『嵐が丘』の翻訳史上まち がいなく初登場の感嘆詞に、私は感じ入った。ちなみに阿部知二訳(岩波文庫) をはじめ、たいていの訳では原文“oh”の通り「おお!」である。」「翻訳にあ たって訳者の燃やした意欲は、たとえばこの「おお!」から「うそ!」への思 い切ったジャンプに如実にあらわれていると思う。この言葉によって、少女キ ャサリン・リントンの情動の幼い面が伝わるのだし、訳者の力説するこの小説 に特有なコメディー風の味もにじむ。それがまた、かえって、のちの彼女の不 穏なまでの怖ろしさをきわだたせることにもなるだろう。」
一語をとらえて、“oh”なんという深い読みか。 私は、山村修さんに感嘆 し、深く感じ入ったのであった。
最近のコメント