西脇順三郎先生の思い出2007/04/08 07:00

平成14年秋・世田谷文学館「没後二十年 西脇順三郎展」ポスター

 山岸健先生の、三田の山や西脇順三郎先生の話で思い出した。 昨年10月 21日に「復活!慶應義塾の名講義」vol.7、田中亮三名誉教授の「創立百年の 頃:三田山上の巨人たち」を聴いて、日記に書いていなかった。 塾監局裏の第 一校舎の教室であったその講義には、次の回を担当する伊丹レイ子先生ご夫妻 もいらっしゃり、学生にいつも前に座りなさいと言っているのでと、最前列の 右隅で聴いておられた。 田中亮三先生は、昭和32年(1957)年に文学部英 文学科を卒業、日吉の高校と法学部(79年教授就任)で英語を担当された。

 資料をみると、予定では西脇順三郎、井筒俊彦、池田潔、池田弥三郎、佐藤 朔といった諸先生、そして鈴木孝夫名誉教授、塾の建築に関連して谷口吉郎・ 谷口吉生親子について、語るはずだった。 実際には、田中亮三さんが直接指 導を受けた恩師・西脇順三郎先生について話すことに、ほとんどの時間を費や すことになった。 最後の弟子ならではの、面白いエピソードが聞けた。

 詩人で英文学者の西脇順三郎先生(1894-1982)は、新潟県小千谷の出身、 ずっと「エングリッシュ」「イイゴ」と新潟の音が消えなかった。 文学部は文 学青年の集まりで、あまりアカデミックでなかったが、西脇先生はオーソドッ クスな英文学だった。 ドイツ語に近くて、格がある、二行読むのに一晩かか るような古代・中世英語を教わった。 そして、英語教師になるためにと、基 礎の英文法を、丁寧にしっかり教えてくれた。 英作文には、いい英語を沢山 覚えるのが大事だといわれた。 外国が好きで、よく読み、よく知っていた。

 その詩。 何をいっているのかよくわからない。 植物の名前が沢山出てく る。 白金にお住まいがあり、三田に来るのにバスを魚籃坂で降りて歩いて来 る。 途中、しゃがんで、雑草を見ていた。 アカノマンマとかを、路傍観察。

 浮世ばなれしたところがあった。 南校舎のエレベーターに、けして乗らず、 上階へも階段を登っていた。 南校舎が出来た当初、一人でエレベーターに乗 り、ボタンを押さずにいて、閉じ込められたことがあったらしい。