「父たちの戦場」 ― 2007/05/07 07:31
『小谷直道 遺稿・追想集』の遺稿の部に、1978(昭和53)年8月4日から 終戦記念日前日の14日まで読売新聞に連載された「父たちの戦場」がある。 社会部時代の代表作の一つという。 敗戦から33年目の夏、小谷君は当時37 歳だった。 この企画は彼が中国山東省済南市生れということと関係があった のだろうと思うが、この本からは、その間の事情は分からなかった。 略歴よ り、生涯をたどった小伝を載せたほうがよかったのにと思う。
「父たちの戦場」は南太平洋の激戦地、パプア・ニューギニアとソロモン諸 島をめぐっている。 山本五十六大将の搭乗機の残骸を確認するために、ブー ゲンビル島のジャングルの中にも分け入っている。 パプア・ニューギニアの お雇い外国人の土木建築技師、原晃さん(35)はかつて父が死の行軍を余儀な くされたウエワク―ボイキン間の道路建設にあたり、橋を架けた。 私などは 先日の津波でその位置がはっきりしたガダルカナル島は、昭和17年8月から 翌年2月までの6か月間、飛行場争奪の激戦がくりひろげられ“餓島”といわ れた惨状の戦場だ。 36年後のその当時、この地に踏みとどまって、遺骨の収 集と慰霊に執念を燃やす元参謀、細川直知さん(68)のことを書いている。 3 万人が上陸したという日本軍の戦死者数を、細川さんに尋ねたら、帰るまでに キチンとした数をと、あとで便箋のメモをくれた。 「日本軍上陸人員3万1358、 戦死・戦傷死・戦病死・行方不明2万1138」「米軍作戦参加人員約6万、うち 戦死約千、負傷4千245」。 連載の最後に、小谷君はイギリスの戦史家、バジル・ハート卿の言葉を引い ている。 「もし平和を欲するならば、戦争をよく理解しなければならない」
コメント
_ 細川 義秋 ― 2008/12/10 22:10
_ 原 晃 ― 2015/06/17 22:31
午後、職場に電話があり、今日、会いたいとの事でした。夜自宅に来て貰い、亡き父が苦難の行軍の末渡ったであろう河の設計に関わった話を紹介して貰いました。
パプアニューギニアには14年あまり滞在し、その後帰国、国際協力に道に入りました。20年あまりの国際協力の仕事が出来たのは、あの時の経験があったからです。
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祖父のことが書いてある書物などは出ていますでしょうか?
もし、出ていればタイトルなどを教えていただきたいのですが
よろしくお願いします。