素浄瑠璃「憑(よ)りくる魂(たま)」2007/06/26 07:15

 23日の土曜日、三田で池田弥三郎歿後25年記念「素浄瑠璃の会」があった。  昭和57(1982)年という年は、2月9日に高橋誠一郎先生が亡くなり、7月5 日に池田弥三郎さん(先生より、さんが似合う)が亡くなっていたのだ。 演 目は「憑(よ)りくる魂(たま)」、釋迢空(折口信夫)「死者の書」より、池田 弥三郎脚色、作曲 八世竹本綱大夫・十世竹澤弥七を、語り 豊竹咲大夫、三味 線 鶴澤燕三(えんざ)竹澤宗助であった。

 この作品は、慶應義塾創立百年の昭和33(1958)年10月、ラジオ東京で芸 術祭参加番組として放送されたのだそうで、その時の池田弥三郎さん自身の解 説の録音が会場に流された。 わかりやすくて、親しみ深い、歯切れのよい、 弥三郎さんのしゃべりを、なつかしく聞いたのだった。 来年は塾創立百五十 年、時の流れは速く、49年前ということになる。

 池田弥三郎さんの師である釋迢空(折口信夫)「死者の書」は、大和の二上山 や当麻寺(たいまでら)を舞台にしている。 二上山に、大津皇子(天武天皇 の皇子、草壁皇子とともに皇位継承の有力な候補者であったため、天武天皇の 死後、草壁の母、持統天皇によって謀反の名目で処刑された)の墓(奥津城) がある。 最近知った「殯(もが)り」という言葉が出てくる。 当麻寺には、 藤原南家右大臣豊成の娘、郎女(いらつめ)が入って、蓮茎の糸で観無量寿経 の曼荼羅を織ったという中将姫の伝説がある。 罪人として処刑された大津皇 子の祭られざる霊魂が、藤原の姫に憑(よ)りついてきて、郎女の魂と交感し、 郎女の目には、美しい仏と映る。 恐ろしさと、陶酔とかが、裏腹に綯い交ぜ になった、摩訶不思議な世界が展開するのだ。