「土州橋」なる大石医院2009/03/20 06:42

 『断腸亭日乗』を読んでいると、今は使わない言葉が出てくる。 例えば「晡 時(ほじ)」「先考」「国手」「小星(しようせい)」。 「晡」は日暮れ、「先考」 は亡父、「国手」は名医、医師の敬称、「小星」は妾。 永井荷風は「平生百病 断えざるの身」で、しばしば大石「国手」に診察してもらっている。 自分も 通っていた中洲病院に「小星」お歌を入院させたりする。 昭和9(1934)年 からは、「土州橋」なる大石医院とか、土州橋病院の名が出て、たびたび「土州 橋」へ通っている。 偏奇館から「土州橋」へ行ってから、浅草や玉の井に出 かけた。 脚気及び梅毒の注射、ホルモン注射などという記述がある。(中洲病 院は大きく、大石医院とは別のようだ)

 「土州橋」という場所がわからない。 ネットで調べると、今の日本橋箱崎 町、せんは箱崎町四丁目といったあたり、江戸時代に田安家の大邸宅のあった 土地に、明治になって土佐の山内容堂が入り、明治38年箱崎川に自費で「土 州橋」を架け、のちに東京府に寄贈したという。 どうも埋め立てて首都高速 の箱崎インターチェンジになっている付近らしい。 先日、句会でお会いした 宮川幸雄さんに伺ったら、当時水天宮前が市電の一大ターミナルで、病院は今 のロイヤルパークホテルの所にあり、「産婦人科の医者なのに、荷風さんは平気 でどんどん入って行くんですよね、ふつう男の人は産婦人科には入って行かな いでしょう」という話だった。