喬太郎の「初音の鼓」2009/02/01 08:25

柳家喬太郎は、若手だ若手だと思っている。 だいぶ頭が白くなって、爺む さい出方をしたりするが、まだ20年に満たないという。 お宝についてのマ クラ。 「俺だけど」と、オレオレ詐欺みたいな電話がかかってきた。 わか らないので聞き返すと「お前の師匠だけど」と、なんと大師匠の小さんだった。  実話だという。 九州にいたら、家にいるかみさんから、電話でも真っ青とわ かる留守電が入っていた。 大師匠から電話で、いついつ、どこどこに待ち合 わせという確認の連絡があったという。 そんな予定はない。 じつは喬之助 さんの間違いだった。 夜、家に帰ると、留守電が入っていて、大師匠だった。  「小さんだけど、昼は、すいませんでしたね……プープープー」 テープに録 って、お宝にしている。 いつか、高く売れ……。

「初音の鼓」は、人形浄瑠璃や歌舞伎の『義経千本桜』に出てくる。 吉野 山中にかくまわれた義経が、静御前と再会する。 義経は静の供についてきた 佐藤忠信が別人だと気付く。 それまでも静が「初音の鼓」を打つと、必ず忠 信が現れた。 その忠信は、鼓の皮になった狐の子供だったのだ。  落語は、道具屋が掘り出しものの「初音の鼓」を殿様の所に売りに来る。 殿 様が鼓を打つと、前後忘却した道具屋に、狐が乗り移って「こん」と鳴く。 値 はいくらだ、百両、求めよう、三太夫を呼んで来いとなる。 道具屋は、三太 夫に三十両で口裏あわせを頼む。 そちも悪よのう、素面(しらふ)ではでき ないと、冷で一杯ひっかけた三太夫も「こん」と鳴く。 殿様は道具屋に、今 度はそちが試してみよ、と鳴り物は不調法だというのに無理強いする。 道具屋は、追いつめられた。 「よー、ぽん」、殿様が「こん」。 三百両と言えば かった、と道具屋。 さらに、どんでん返し。 払われた代金は、一両だった。  尋ねると、「余と三太夫の鳴き賃が差っ引いてある」  引っ込む喬太郎が、よろ けた。  ノーテンキな馬鹿殿の多い落語の中で、この殿様の隅に置けないところが面 白かった。

桂米團治の「親子茶屋」2009/02/02 07:18

 桂米團治、縞の羽織に、黒い着物で、ニコニコと出て来た。 10月4日の襲 名披露、南座は何時から小米朝が米團治になるのか、細かいことにこだわった という。 劇場に入った時か、舞台に出た時か、口上で頭を上げた時か。 日 の出とともにだろうということになって、どこの日の出か、大阪のだろうと、 南座がインターネットで検索したら、午前5時55分、それで五代目……。 五 の倍数で「ヘぇ」とならなければならないか、とニャッと笑って、米團治にな っても性格変らんな、と。 この明るさが、米團治の身上だ。

 全国30か所を回る襲名披露興行の、20数か所で人間国宝・米朝が並んでく れた。 たいへんな移動だった。 松江から富山の移動、JRだけしかなく山陰 本線と北陸本線で8時間かかる。 関西経由の飛行機もなく、米子の空港から 羽田に来て、羽田から富山へ飛ぶことになった。 それが羽田着30分遅れ、 乗り換えに3分しかない、マイクロバスで10人が富山行きまで滑走路をつっ 走る。 人間国宝は「ここはどこや」、83歳が螺旋階段でフーフー上がらなけ ればならなくなった。 荷物用のエレベーターがあったが、人間はダメと断わ られた。 「この人はお荷物…」

 「親子茶屋」は、苦虫とニコニコ、米朝・米團治親子を思わせる噺だ。 昔、 米團治が祗園で遊んでいたら、米朝が来て、大慌てで隠れたことがあったそう だ。 米團治が演じるのを見て、その踊りの手の美しいのに感心した。 見台(平 らな小机)と膝隠し(衝立)がなかったのは、このためだったのだ。

 子供の頃、遠い親戚が宗右衛門町で料亭をやっていた。 地唄舞に関係のあ る家だった。 当時「そうえもんちょう」と言っていたように思うのだが、最 近はもっぱら気取ってか「そえもんちょう」というのを聞く。 それが米團治 は「そうえもんちょう」と言って、「親子茶屋」の舞台にした。 『米朝上方落 語選』(立風書房)を見たら、米朝は解説にそろそろ難波新地から宗右衛門町に 戻してやるべきかと考えている、と書いていた。

手に汗握るスーパーボウル2009/02/03 07:24

 閑居の楽しみの一つが、スーパーボウルだ。 放送は午前8時に始まって、 正午ちょっと過ぎまでかかる。 ナイス・ゲームになった。 ピッツバーグ・ スティーラーズ(AFC)対アリゾナ・カージナルス(NFC)、20-7で迎え た第4クォーター、カージナルスが反撃に出る。 QBワーナー(37)からWR フィッツジェラルドへのパスが連続して決まり始め、20-16まで迫る。 残 り2分53秒にはフィッツジェラルドが64ヤードを駆け抜けてTDを決め、 20-23とついに逆転に成功した。

 スティーラーズの攻撃となり、残り1分56秒と1分2秒に連続してQBロ スリスバーガー(26)からWRホームズへのパスが通り、フィールドゴール・ レンジに入る。 残り49秒、ゴール内左隅のホームズへのパスが不成功にな ったのに続き、残り35秒、今度はロスリスバーガーから右隅のホームズへの パス。 ボールを確保していたか、両足を着いていたか、ビデオを見るブース・ レビューとなる。 ヘッドコーチのマイク・トムリン(36)とロスリスバーガ ーが手をつないで祈る中、タッチダウンが認められ26-23、トライ・フォ ー・ポイントも決まって27-23。

 29秒を残して、自陣23ヤードからのカージナルスの攻撃となる。 フィッ ツジェラルドへのパスが成功、2回のタイムアウトを使いつつ前進。 しかし ディフェンスのスティーラーズが“鉄のカーテン”の本領を発揮、残り5秒で ファンブルを誘い、3年ぶり6回目(史上最多)のスーパーボウル優勝を飾っ た。 MVPはWRサントニオ・ホームズだった。

 終わってみれば、前半終了直前、スティーラーズは自陣ゴール前2ヤードか らの相手の攻撃をインターセプトしたLBハリソンが100ヤードを駆け抜けて タッチダウンしたのが、大きかった。

院長八十歳を機に、閉院2009/02/04 07:15

 荏原中延の酒井歯科医院の酒井呈先生から「歯科医院閉院のお知らせ」とい うお葉書をいただいた。 「当院は昭和四年当地で開院以来八十年を迎え、二 代に亘りご支援ご厚情を戴きましたが、院長八十歳を機に、平成二十一年三月 三十一日を以って閉院することと致しました。」 歯科は終業するけれど、今後 は息子さんのクリニックを拡充して、さらなる地域医療の充実を目指すという。  お見事、ご立派、というほかない。

 父が死んで中延との縁がなくなってから、ご近所の歯医者さんに診てもらっ ているが、酒井歯科医院は子供の頃からの罹り付けだった。 20年ほど前の昭 和63(1988)年7月、酒井呈先生に舌ガンの原因になる危険なものだという 「転移歯」を抜いてもらった時、つぎのようなことを「等々力短信」に書いて いた。

大先生の時代には、モーターの回転を、まだ「まだらの紐」が伝えていた。  父に連れられて、大先生のハゼ釣りのお供をしたことがあった。 釣針を呑み 込んだハゼの口に、道具を差し込んで処理するのが、お得意だった。 大先生 は俳句もよくし、その句集に〈手をはたく鯊のぬくさや冬に入る〉〈覗き込む人 の顔みるはぜ上目〉〈あくまでも鯊強情に口あかず〉などの佳句がある。 ハゼ にも「あーん」と、言われたのだったろうか。

大先生は、息子である今の院長先生のお名前を「呈(すすむ)」と命名された。  「口の王」である。 名前通りの名人になられたから、こちらが観念するまで だけが問題で、例の椅子に横になりさえすれば、最新最高の技術で治療して下 さる。 その安心感と信頼感は、この町に根を下ろし、親子二代にわたって、 地域の人々の歯の健康を守ってこられた実績がもたらしたものだ。

「大事は小事の累積」2009/02/05 07:22

 酒井歯科医院について書いた「等々力短信」を探していて、もう一つ古いのが出て来た。 始めてまだ三年目、ハガキに和文タイプ謄写版印刷時代の、 1977.(昭和52年)3.15. 第74号、私は35歳だった。 父の言葉なども出て きて、懐かしいので、以下に全文を引用する。 ハガキ時代の字数は、こんな ものだったのだ。

 「好きな人はいないからね」 早く来ればいいんですが、と言訳をしたら、 歯医者さんはそう答えた。 ガリガリやられるのがいやで、二、三本悪いのが あるのを、磨く回数を増したりしてごまかしてきた。 前歯のつめものが取れ てついに観念した。 十日程通って治してもらった。 「案ずるより産むが易 し」がその感想である。

 大事は小事の累積で、小事のうちにかたづけろ、とよく父はいう。 むし歯 などはまさにその典型的ケースなのだが、なかなかそうはいかないところが人 間の人間たるところだ。 半年毎に定期検診を受ける人ばかりなら、歯医者は もっとすいているに違いない。

 「つまらぬは、大人の人見知り」とは福沢さんの言葉だが、わが家では子供 より父親の方が人見知りで、「事なくして訪ねる」ことの大切さを知りながら、 なかなか実行できない。