富永仲基が考えたこと2009/02/21 07:27

 加藤周一さんが『日本文学史序説』で、福沢諭吉に言及していることがわか ったので、『加藤周一著作集』第5巻『日本文学史序説 下』(平凡社)を図書 館で借りてきた。 と、「富永仲基と安藤昌益」の章があって、福沢はひとまず 措き、富永仲基を読む。 「仲基後語」より直截で、少しはわかりやすい。  「富永仲基は、儒教・仏教・神道のすべてに真向うから批判を加え、徳川時 代の知的伝統に誰よりも激しく挑戦した。」 「青年仲基にとっての基本的な問題は、儒教・仏教・神道それぞれの体系の なかでの理論の違いを、合理的に理解し、説明することにあったようである。」

思想史(または教義史)を分析するために、富永仲基が用いた概念は三つあ る。 (1)「加上」。 仏教でいえば後の経は前の経をふまえ、その上に何か を加えようとして出て来たということ。 つまり後説は前説に「加上」するも のだという。 (2)言葉の意味は、話し手と時代によって異なり、言語学的 法則によって変化するということ。 (3)彼が「くせ」と呼んだ国民的性格。

『翁の文』の要約する儒教・仏教・神道三教批判の結論、「仏は天竺の道、儒 は漢の道、国ことなれば、日本の道にあらず。神は日本の道なれども、時こと なれば、今の世の道にあらず」

31歳で死んだ病身の大坂商人の息子は、鎖国下の18世紀の日本で、おそら く西洋思想と何らの接触もなしに、その時代の信仰体系の歴史を分析しながら、 全く新しい学問の可能性を予測し、しかもそれをある程度まで発展させた。 そ れは過去のさまざまな思想の、異なる体系の継起をいくつかの歴史的発展の流 れとして捉まえようとする経験的な科学だった。 それらの流れはまた、思想 そのものの展開に内在的な法則、言語の歴史的な変遷、それぞれの文化的環境 の特質によって規定される、と彼は考えていたらしい。 富永仲基は日本にお ける最初の、また最近までおそらく唯一の、純粋に客観的な思想史家であった。  そして仲基がほとんど予測していたもう一つの新しい領域は、比較文化論であ る、と加藤周一さんは言う。