慶應義塾の教育2009/02/13 07:10

 米山光儀さんは、いよいよ近代日本教育史における慶應義塾の意味を考える。  展覧会の図録、「第3部 ふかめゆく智徳」の序説で、米山さんは慶應義塾の教 育、その「心の習慣」の形成について書いている。 それは慶應義塾が学問を する(知識を得る)だけの場所ではなく、「善き習風」をつくり上げていく、つ まり生活の中で徳を身につけていくことを目ざしていた。 独立自尊の精神(す なわち「西洋の精神」と米山さんはいう)を理解する者は、生活のあり方も気 品あるものとしなければならなかった。 「心の習慣」=徳は、徳目によって 教育されるものでなく、そこで過ごすことによって知らず知らずのうちに、身 につけるものであり、「智」を支える重要なものと考えられていた。 近代の「智 徳」を問題にする姿勢は、後の「慶應義塾の目的」(明治29(1896)年11月) にある「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我 日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらん」にも一貫している。

 慶應義塾は明治31(1898)年に一貫教育の制度をつくり、今日に至ってい る。 独立性を保ち、一つの学校として一貫している。 どこかに依存してい る体制ではない。

 そこで米山光儀さんが最初に出した、福沢は九鬼隆一と関係ある表慶館での 自分の展覧会をどう思うかという問題だ。 福沢は『福翁自伝』の最後で、三 つの願いを書いている。 その一つに、全国男女の気品を高尚に導くというの があった。 福沢諭吉という人物とその思想を、慶應義塾から全国へ、広く開 かれたこの地、国立博物館という社会教育の場で展覧会が開かれるのも、福沢 の理念にかなっているのではないか、と米山さんは結論したのだった。