「演劇博物館」と芝居茶屋 ― 2009/08/01 08:17
「メディアといえば錦絵の時代」というわけで、犬丸治さんはレジュメに、 高橋誠一郎さんが4歳から観た芝居の錦絵を、並べている。 演目、上演の年 月、配役(誰が何を演じたか)。 どうしてそんなことが可能かといえば、イン ターネットの早稲田大学・坪内(逍遥)博士記念「演劇博物館」のデータベー スで見られるからだ。 (犬丸さんは、それに比べ慶應の高橋誠一郎コレクシ ョンの浮世絵データベースは、使い勝手が悪いと言っていたが、同感。)
高橋誠一郎さんの芝居見物は、芝居茶屋を通してだった。 茶屋は、休息や 長い幕間での食事の場でもあった。 出方(茶屋の男衆)が、席(切符)の確 保から、当日の茶屋から劇場への案内、席の設えなどをした。 芝居茶屋は、 芝居見物という非日常の愉楽の世界への入口だったのだ。(東京の芝居茶屋は、 関東大震災までだった、と聞いている。私は、その名残りが戦後も大相撲見物 にはあったのを、子供の頃に見ている。毎場所前、今もおみやげの袋を運んで いるあの恰好で、金さんという人が、番付と千秋楽の切符を持って家に来てい た。羽黒山や照国の時代だった。)
時代や演劇の各分野を相対化する視点 ― 2009/08/02 05:49
犬丸治さんの眼目、高橋誠一郎さんには、他の「團菊爺」と一線を画す視点 があったという話に入る。 「明治はいい時代だった」と、みんな(例えば27 年生れの小島政二郎、37年生れの幸田文)言うけれど、17年生れの高橋さん は「明治をあまりいい時代とは思っていなくて」、戦乱に明け暮れた時代だった、 という。 犬丸さんはこれを、時代を相対化する視点と言う。 そして高橋さ んが10歳で観た川上音二郎の日清戦争劇を取り上げる。 川上音二郎は、明 治27年8月浅草座の「壮絶快絶日清戦争」、12月市村座の「川上音二郎戦地見 聞日記」で、大衆の熱狂的支持を得た(国が推進したという側面もあった)。 九 代目市川團十郎が追随、11月歌舞伎座で「海陸連勝日章旗」という芝居をやっ たほどである。
川上音二郎は明治36年2月明治座で「オセロ」を上演、「壮絶快絶日清戦争」 にも出ていた高田実(“新派の團十郎”と呼ばれていた)などの新派は知的エリ ート層に人気で全盛期を迎えていた。 20歳前後になっていた高橋誠一郎さん は、新劇・新派を含む日本近代演劇の台頭を目の当たりにしていて、後年もそ うだが、歌舞伎に偏しない、離れた見方をするようになったと、犬丸さんは話 した。 昭和27年の「演劇界に望む」という文章に、高橋誠一郎さんは「安 全第一主義で、紋切形の芝居ばかりやられていたのでは演劇界は亡びる」「冒険 的な興行をやる企業家の現れることを望んでやまない」と、書いている。
最近の拾い物 ― 2009/08/03 07:11
家内の読んでいた高峰秀子さんの『台所のオーケストラ』(文春文庫)を、パ ラパラやっていて出合った。 食材を掲げて、レシピを紹介している本だが、 和風には俳句、中国風には漢文・漢詩、洋風には、こんな引用が、添えられて いる。
○エストラゴン(一種特別な匂いのする香草)
女とスープは待たせてはならない。さもないと冷えてしまう。(スウェーデン の諺)
○白ブドウ酒
女は靴だ。長くはいているとスリッパになる。(ドイツの諺)
男は傘だ。長い間さしていると骨が折れる。秀子(イジワル婆さん代表)
7月22日の「天声人語」にあった言葉
「勝ち負けは重要でないと言うのは、たいてい負けた方ね」 マルチナ・ナブラチロワ
「磯田道史(歴史学者・茨城大准教授)の この人、その言葉」(7月18日朝 日朝刊)
内田百ケン(門構えに月・1889-1971)
「知らないという事と忘れたという事は違う。忘れるには学問をしなければ ならない。忘れた後に本当の学問の効果が残る。」
これを読んで、私は、ゼミナールでご指導いただいた小尾恵一郎教授に、大 学を卒業した直後、「学校を出たメリットは、出なかったという劣等感がない、 というくらいのものだね」と言われたことを思い出した。 磯田さんは解説し て「いったん覚え、そして忘れたものは後になって必ずその人に効いてくる。 百ケン先生は教養というものの正体をしっかり学生に語っている。」
『ことばの花束』から7本 ― 2009/08/04 06:40
それで久しぶりに岩波文庫の『ことばの花束 岩波文庫の名句365』を引っぱ り出してみた。 艶々カラー印刷のカバーがついているから、新しい本だと思 っていたら、1984年12月刊、もう四半世紀近くも経っていた。 300円。 栞 にいくつか、気に入った文句の番号が書いてあった。
「知ることがむつかしいのではない。いかにその知っていることに身を処す るかがむつかしいのだ。」 17番 司馬遷『史記列伝』(一)31頁
「ひとは単に知っていることによって知慮あるひとたるのではなくして、そ れを実践しうるひとたることによってそうなのである。」 299番 アリストテ レス『ニコマコス倫理学』(下)48頁
「己(おの)が分(ぶん)を知りて、及ばざる時は速かに止(や)むを、智 といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己 が誤りなり。」 22番 兼好法師『新訂 徒然草』218頁
「君のおぼえた小さな技術をいつくしみ、その中にやすらえ。」 33番 マ ルクス・アウレーリウス『自省録』52頁
「人が四十三歳にもなれば、この世に経験することの多くがあこがれること と失望することとで満たされているのを知らないものはまれである。」 216番 島崎藤村『夜明け前』第二部(下)85頁
「旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなも のを与えたであろうか。旅に出さえすると、私はいつも本当の私となった。」 229番 田山花袋『東京の三十年』234頁
「外国へ行く者が、よく事情を知らぬから、知らぬからと言うが、知って往 こうというのが、善くない。何も、用意をしないで、フイと往って、不用意に 見て来なければならぬ。」 230番 勝海舟『海舟座談』63頁
『ことばの花束』選の続きと福沢の言葉 ― 2009/08/05 07:15
今朝思いついたのを一つ。
「ディア ヒラリー/モニカの借りは返した/ビル」
閑話休題。
「僕はこういった人間を知っているんだ、つまり、なんにも口を利かないっ てだけで、利口者で通ってるんだね。」 280番 シェイクスピア『ヴェニスの 商人』17頁
「音楽について話す時、一番いい話し方は黙っていることだ。」 331番 シ ューマン『音楽と音楽家』92頁
「世間を偽るには、世間並の顔をなさいませ。」 281番 シェイクスピア『マ クベス』64頁
「苦労が人間をけだかくするというのは、事実に反する。幸福が、時にはそ うすることはあるが、苦労はたいてい、人間をけちに意地悪くするものなのだ。」 317番 モーム『月と六ペンス』96-97頁
「恋(ラヴ)のことなら、どんなにだって、ロマンティックでもいいんです けれどね、ヘクタ。でも、お金のことじゃ、ロマンティックになっちゃいけな いのよ。」 318番 バーナード・ショー『人と超人』124頁
「今の世を、百年も以前のよき風になしたく候ても成らざる事なり。されば、 その時代々々にて、よき様にするが肝要なり。」 346番 山本常朝『葉隠』(上) 98頁
ついでに、福沢諭吉で、この本に引用されているのは、つぎの五つだった。
「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云ふなり、衣食を饒(ゆた か)にして人品を貴くするを云ふなり。」 5番 『文明論之概略』54頁
「信の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑の世界に真理多し。」 262番 『学問の すゝめ』133頁
「或は自由は不自由の際に生ずと云ふも可なり。」 263番 『文明論之概略』 182頁
「自由と我儘との界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあ り。」 351番 『学問のすゝめ』13頁
「私のために門閥制度は親の敵(かたき)で御座る。」 350番 『福翁自伝』 14頁
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