歌武蔵の「茶金」 ― 2009/12/30 07:22
2004年1月22日に春風亭正朝が「はてなの茶碗」で演ったのを聴いて、23 日に「初席の落語研究会みな快調」、24日に「「はてなの茶碗」考」を書いてい た。 「はてなの茶碗」はもともと上方の演題、金をもらった油屋が、江戸っ 子の本性を現わし、新町で大散財をして、それから芸者や幇間を大勢従え、毀 れた水瓶を茶金の店に担ぎ込むところを、鳴り物入りで賑やかにやったものだ そうだ。 それを名人円喬が「茶金」という渋い噺にしたという。
歌武蔵の「茶金」は、油屋が清水の音羽の滝の茶店で、問題の茶碗を手に入 れるのに、三両と商売物の油五両相当をつける。 かつぎの油屋が、五両もの 品を持っていただろうか。 本来の賑やかな噺でなく、渋い噺で演っている米 朝の速記を見てみる。 三年働いてやっとためた身代かぎりの二両だけになっ ていて、あとで茶屋金兵衛が元値の二両に、足代箱代風呂敷代ということで一 両を足して、「あんたが三年間肩へ“おおこ”(天秤)を当てて働いた、それが 何よりの土産や、この金持って早う大阪へお帰り、で、地道にお稼ぎやす」と なる。 リアリティが、圧倒的に違う。 歌武蔵では、茶金は自分を信用してくれたからと三両で買い、でも商売物を バッタに売ったのは許せないと、五両は貸してくれる設定だ。
千両の処分。 米朝は、五百両を油屋にやり、茶金は残った五百両で、困っ ている気の毒な人への施しをし、いくらか残しておいて、親類や友達を集めて、 お祝いの大酒盛りをしたいと思てますのや、となる。 正朝は、油屋に三百両、 清水の茶屋にも三百両やり、茶屋金兵衛が三百両取って、あとの百両をお奉行 に届けて困っている人々に配ってもらう。 歌武蔵は、正朝と同じ配分だが、 清水の茶屋でなく、「清水さん」と言ったような気がして、お寺へ納めた感じに 聴こえた。 茶金が「わしも商売だから」というのはよかったが、「お奉行に届 けて」というのがなくて、そういう一言一言がリアリティにつながることがわ かった。 比較してみると、落語、なかなか奥が深くて、難しい。
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