清家篤塾長初の年頭挨拶(後半)2010/01/14 07:08

 実学の効用。 世の中の真の姿は、学問を通じて、はっきりと見えてくる。  たとえば天文。 実感としては天動説がフィットするが、学問によってそれを 克服できる。 現在、さまざまな選択が迫られている。 ぎりぎりの選択、経 済学でトレード・オフというような。 希望的な観測や精神力ではなく、客観 的なエビデンスにもとづいて、冷静で客観的な判断を下す必要がある。 福沢 は『文明論之概略』(第六章 智徳の弁)で、智徳を「公智・公徳・私智・私徳」 の四つに区別して、人事の軽重大小を判断し、軽小を後に重大を先にし、その 時と場所とをわきまえる(課題の解決に優先順位をつける)働きを「公智」と いい、これが最も重要だとした。

 慶應義塾の使命。 《1》人材育成。 学生に求めるものは、(1)一般教養。  学際的にものを考えられるように。 (2)しっかりと研究すること。 卒論、 卒業研究。 (3)課外活動。 体育会など、そこには自分の頭で考えるタネ がある。 《2》研究による貢献。 オリジナルな研究。 たとえば高齢化と いった社会問題に、(塾内はもともと垣根が低いので)学際的な社中協力が可能。  良い研究者を招聘、育成する。 それにはふさわしい待遇と条件、その資金が 必要となる。 大型の研究費を取ってくることも必要。 一方で、昨年文化勲 章を受けた速水融(あきら)名誉教授の研究のもとは、義塾からの留学と、そ の留学目的とは異なる20年もかかるような研究(歴史人口学)だったように、 自由自立の研究も重要。 福沢は1893(明治26)年「学者の飼放し」(『福澤 諭吉全集』第14巻195頁「人生の楽事」)という演説で、理想の研究所に言及 している。

慶應義塾の財政は、授業料その他の収入に、私学助成も加えて、基本的には 磐石だ。 問題は、さらなる投資(校舎建設など)の資金で、それは寄附や資 産運用益による。 資産運用益はリーマン・ショック以来、半分位に減ってい るので、やむを得ず新投資のスケジュールを先に延ばし、見直す必要が出てい る。

清家篤塾長の年頭挨拶を聴きながら、しきりに私は小尾恵一郎先生の影響を 感じていた。 その仮説は12日に手元に届いた『三田評論』1月号、塾長の壇 ふみさんとの新春対談で証明されたのである。