イタリア経済思想の使者F・ガリアーニ2010/01/28 07:18

 丸山徹さんの講演のつづき。 1750年(扉にある、実際は1751年とも)に 22,3歳で『貨幣論』を出版したガリアーニとは、どんな人物か。 フェルディ ナンド・ガリアーニ、ナポリの教養人であったおじさんのところに預けられ、 彼が親友と経済学の議論をするのを聴いて育った早熟の人。 身長135cmの小 法師といわれるが、パリ駐在ナポリ大使館の外交官として、ルイ15世治下、 ポンパドール夫人をパトロンとする華麗なロココ文化が花開いたパリ社交界で、 その寵児となる。 才能あふれる人物で、口は全ての人を魅了する“スパーク リング・カンバセーション”、ラブ・レターの代筆をしたことから、婦人連中は 頭が上がらなかった、という。 デピエ夫人?との『往復書簡集』もある。 宮 廷には侍医として「経済表」のF・ケネーがおり、ガリアーニの交友範囲には チュルゴー、コンディアックという経済学者、ディドロなど数多くの名流が含 まれていた。

 ガリアーニはまさしくイタリアの伝統的な効用思想をアルプスを越えてフラ ンスにもたらした使者であった。 ガリアーニのフランスにおける影響力は、 チュルゴー、コンディアックを通じて、19世紀のワルラス父子(オーギュスト とレオン)の消費者行動理論、ドイツ・オーストリアではカントの哲学と結び ついてラウ、マンゴルト、メンガーのドイツ古典学派、イギリスでは功利主義 と結びついたジェヴォンズの限界効用理論へと、それぞれの経済学に及んだの である。