西川俊作先生追悼講演会、清家塾長の話 ― 2010/07/31 06:57
24日(土)午後3時から「西川俊作君追悼講演会」が三田の東館8階ホール であった。 塾長、商学部長、産業研究所長、福澤研究センター所長など、西 川先生が深く関係されたところの代表が発起人になり、牛島利明商学部教授と 西川ゼミOB会「三児(さる)の会」が運営にあたった。
まず清家篤塾長。 西川先生には、大学院で計量経済学を教わった、ここに いる樋口美雄商学部長、牛島教授も一緒に。 ポジティブな影響を受けた。 先 生は一見恐そうだがシャイで、やさしく親切、卓越した研究者であり、深い洞 察力をもって、社会に貢献された。 気前のいい先生で、テーマや機会を、惜 しみなく学生に与えた。 ジェネラスな先生だったと言える。 16日、大阪の 「福澤諭吉先生生誕175年記念講演会」で鷲田清一大阪大学総長が「リベラル」 について述べたが、西川先生は辞書にある「リベラル」の第一の意味「寛大な、 気前のよい」先生だった。 若い研究者が成果を挙げると、大変に嬉しそうだ った。
労働経済学の分野で『地域間労働移動と労働市場』(日本経済新聞・経済図書 文化賞受賞)という業績をあげたあと、数量経済史という新しい研究分野に軸 足を移し、『日本経済の成長史』(東洋経済新報社)で高い評価を受けた。 さ らには、福沢研究にも力を注がれた。 社会の啓蒙家でもあり、今なお使われ ているテキスト『経済学』(東洋経済新報社)があり、マネーや銀行についての 論文、産業組織論など、数々の提言をされた。 1990年から2000年代初めの 困難な時期に、労働雇用政策の分野の舵取りをされ、大きな影響を与えた。
西川先生は、文章を大切にする方で、石に刻むように書かれた。 長く秘書 を務められた石部祥子さんにしか整理できない。 時間とお金の援助を惜しま ず、産業研究所には多額の寄付をなさった。 心のやさしい、暖かい方であっ たのは、敬愛する福沢先生と同じだった。 福沢の研究者として、自らを福沢 先生と重ねて行動されていたのではないか。 福沢ほどクールになり切れない という面はあったけれど。 西川先生と出会えたことは、人生の上で有難い賜 物であった。 御恩を感じている。
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