辻井喬さんの「民主主義の実体化」 ― 2012/03/18 04:24
辻井喬さんが、主体性を持った近代人や民主主義の実体化について、とても いい話をしたのを、書いていたことを思い出した。 2009年11月のNHK『知 る楽』“こだわり人物伝”が、松本清張を取り上げた時、「タブーへの挑戦」と いう話をしたのだった。 辻井喬さんの松本清張論<小人閑居日記 2009. 11.30.>と、民主主義のタブーと実体化<小人閑居日記 2009. 12.1.>を書い た。 さわりは、こんな指摘だった。
昭和天皇のご病気の時、辻井さんは外国大使館の人に、経済使節団が来日 してもいいだろうかと訊かれた。 自分もまたユングのいわゆる「集合的無意 識」の一人で、気づかなかったのだが、外の人から見ると音曲など控えた数か 月間は異常だった。 主体性を持った近代人としては、あまり「集合的無意識」 を持ってはいけない。 持ってもいいから、それを客観的に批判できる主体性 を確立していないと、まずい。 その時、思想、言論の自由という問題も、「集 合的無意識」の問題まで掘り下げて、もう一遍認識しなおさなければならない んだ、と思った。 清張は、そういう認識を助けてくれる作家である。
「民主主義のタブー」というものがある。 民主主義は形だけで、中身がそ れにともなわない。 いつまでたっても、実体化しない。 民主主義を支える、 自分をしっかり持った民衆が生まれてこない。 多数決で決めたからいいんだ ろうというが、その中身まで立ち入って、いい結論を出したかどうか実証する ことこそ、民主主義の実体化だろう。 松本清張は、民主主義の実体化に大い に貢献した作家だったのではないか。
日本だけに冷戦時代の政治体制が残っていた。 それがいよいよ壊れかけて きたところだ。 日本は大いに遅れたけれど、その体制に入ってきた。 清張 の文学の力が、表に出て来るのは、これからではないか。 今こそ、清張の時 代なのではないか。 辻井喬さんは、そう話した。
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