宮地教授の「福澤の脱亜論」(4)儒教主義との闘い ― 2013/09/22 07:12
宮地正人東大名誉教授は「儒教主義との福澤の闘い」と題した部分に入る。 福沢の「脱亜」は、儒教主義からの脱却だというのだ。 それぞれの国で、お のれにとって、独立のために「脱亜」が大事だ。 日本にとっての「脱亜」は、 アジア的状況を打破することで、それをしなければ国が亡びる。 幕末期、教 育者としての彼ただ一人だけが、この事の本質を把握した。 明治3年「中津 留別之書」で「一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立 して天下も独立すべし」、明治6年『学問のすゝめ』の三編で「一身独立して 一国独立す」、「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」。 政府の専制 性に対する人民独立の気力を文明精神の中心に据えようとする。 わが命を捧 げるに足る国家。
福沢は、明治14年の政変以来、政治的には後退したとはいえ、儒教主義復 活と闘う立場は微動だにしなかった。 明治15年12月20・21日の『時事新 報』論説「徳育餘論」(『徳育如何』の続編)が大事だ。 福沢は明治20年5 月、森有礼文部大臣宛私信(のち明治23年3月18日付『時事新報』「読倫理 教科書」と題して掲載。『福澤諭吉全集』第12巻)で、文部省から送付された 倫理教科書草案に意見を送った。 (1)自分は、公徳の本源を家内の私徳に 求め、その私徳の発生は夫婦の倫理に原因するを信ずる者なり。本来社会生々 の本は夫婦に在り。 (2)政府の撰に係るものを教科書にする「文部省撰」を 批判、国家が徳目を国民に示すのには反対だとした。 しかし、明治23(1890) 年には、教育勅語が発布される。
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