同期生達のミャンマー旅行記を読む ― 2014/01/22 06:37
ミャンマー(ビルマ)、2011年にテイン・セイン大統領が就任して民主化路 線を取り、翌年4月の連邦議会補欠選挙ではアウンサン・スーチーさんがNLD (国民民主同盟)から立候補して当選した。 軍主導の政権が民主化運動を弾 圧していたことで西欧諸国から受けていた経済制裁も解除され、経済発展への 道が開かれた。 アウンサン・スーチーさんも、経済の回復を優先して、政権 と妥協的な姿勢を取っているかに見える。 日本も、昨年5月安倍首相が首相 としては36年ぶりに公式訪問、トップセールスで経済ミッション(40の企業・ 団体代表)が同行し、その一人鈴木修社長のスズキ自動車が中断していた四輪 生産を再開、本格的進出も検討中という。
そんなミャンマーへ11月初旬、志木高以来の友人で総合商社に勤務し、近 年はヴェトナムにもいたM君を隊長に、お仲間(皆、経済学部の同期)5人が 出かけ、『私たちのビルマ旅行』という小冊子にしたものを頂いた。 詳細な報 告、そして研究、大変な労作である。 5人が分担して、8日間の旅行概要、 旅行記、料理とお酒、アウンサン・スーチー、ビルマの歴史(時空)、仏教、日 本企業の進出を書き、日程表、会計報告、新興アジア11か国の基礎的経済指 標までついている。
初めて知ったこと、興味を感じたことを、書いてみたい。
先の大戦中にビルマで戦病死した日本兵士は、占領の初期には2千4百人だ ったが、敗戦時には雲南戦線で1万5千人、インパール作戦で2万5千人、イ ラワジ会戦で10万人(馬場はこの会戦を全く知らなかったので、ウィキペデ ィアを見た)、その他合計で18万5千人と言われている。 古いことでなく、 われわれの両親世代の話だ。 戦死はもちろん、食糧不足による餓死、薬品不 足による赤痢やマラリア等での病死が痛ましい。 一行は、パゴダ見物だけで なく、イエウエイ(Innwa)日本人墓地も訪ねている。 正面に日本政府が建 立した戦没日本兵士慰霊碑があり、途中で用意した花束とヤンゴン日本人会が 管理しているお線香、ミャンマー国産のウィスキー1本を捧げ、一同拝礼した。 墓地内には、戦没兵士の墓石のほかに、水力発電所建設その他で亡くなった邦 人の墓石も散見された。 別行動で前日にマンダレーにいたHさんは、マンダ レーヒルにある戦没兵士慰霊碑(彼我、敵方の戦没者も慰霊)を参拝し、日本 から持参した薬を赤痢やマラリアで空しく亡くなった多数の日本兵士のために と捧げた時、思わず涙が出て、同行した現地のガイドと運転手も粛然としたと いう。
なお、敬虔な仏教徒が90%を占めるミャンマーの、上座部仏教(後でふれる) では、釈迦の時代に近いことが重要で、釈迦に墓がないように、墓がない。 「輪 廻転生」、死ねば直ぐに生まれ変わるのだから、墓に入っている暇はない。 遺 骨も、遺灰も、「葬」というより、「捨」だそうだ。
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