小沢昭一さんの放浪芸研究2014/01/21 06:38

 一昨年の暮に亡くなった小沢昭一さんのことを思い出した。 1970年頃から 40代50代を費やして、全国の放浪芸や大道芸を訪ね歩き、膨大な録音資料を レコード「日本の放浪芸シリーズ」にまとめたほか、ビデオや書籍も残した。  普通の家(蒲田の写真館)に生れ、大学も出て、たまたま演劇の世界に首を突 っ込んで、俳優になった。 芸能者としては、しょせん素人、頭でっかちのア マチュアだ、そんな意識が、小沢昭一さんにはあったという。 それが芸能の 根源である怪しげでいかがわしい見世物や物売り、そして色事の研究に向かわ せた。

 永六輔さんは、早稲田高校の2年か3年の時、早稲田大学の大隈講堂の下の 小講堂で、落語研究会が開かれているのを見て、小沢さんに挨拶したのが初対 面だったという。 小沢さんは早稲田落研の創設者の一人だった。 永さんは、 その後全国の大学に落研ができ、現在の若い噺家の大半はその出身者だから、 小沢さんは落語という芸をつないで発展させるきっかけもつくっていたのだ、 と言っている。 大道芸の調査にも、ついて行った。 小沢さんは猥雑なもの が好きで、助平を売り物にしていたけれど、長い間つきあってきて助平だった のを見たことがない。 それは助平って言った方が、自分も相手も楽になるか らなんで、ほんとうは、真面目な人だった。

 老いた放浪芸人を探しあてて、後輩として芸を学ぶという姿勢で、その懐に 飛び込んだ。 芸人たちにとっては農閑期の出稼ぎ仕事で、芸能だとも思って いない仕事に、光を当てた。 小沢さんとの出会いがきっかけで復活した芸能 も少なくない。 高度成長や農山漁村の過疎化の中で滅びつつあった芸、「かろ うじて断末魔に立ち会えました」と言った。 「俳優の仕事をほっぽり出して やったんだから、道楽です」、「地べたの芸、生きるためにやらざるを得ない芸。 そういうのに憧れるんです。ストリップもそういう放浪の芸なんです」と、語 っていたそうだ。

 (2012(平成24)年12月10日に83歳で亡くなった際の、朝日新聞夕刊篠 崎弘記者の評伝、18日同紙朝刊の永六輔さんの追悼文を参考にした。)

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